世界観─物事の捉え方(どうしてそう思うようになったのか)に意識を向ける

 IPSで求める人と人の関係のイメージは、お互いの間にスペース(空間、あそび、ゆとり)があり、その間(スペース)から気づきや学びが生まれてくるというものです。それは、つながりの感覚をもたらす関係のあり方ということもできます。相手の人の感じていることを受け止めながら、しかし、距離をおくことが出来ている。別の言い方をすれば、相手の人の感情や発言に直に反応するのではなく、間をおくことが出来ているイメージです。その間があるために、相手の人も安心して(問題を指摘されたり、批判されたり、同情される心配をせずに)、自分の経験していること、感じていることを口にすることができる。そして、こちらの思いも、その間(スペース)に差し出すように伝えるというものです。

 人と人との、その間(スペース)で展開される会話・対話がIPSのテーマです。

 私たちは人と会話をしているとき、相手の人も自分と同じように物事を認識し、同じように感じ、それらを表現する言葉についても、自分が理解しているのと同じ意味で相手の人も理解していると思い込んでいる場合が多いのではないでしょうか。しかし、実際の会話は、それより、はるかに複雑なものです。会話の背後では、その会話にかかわっている人がそれぞれ独自に私的な独り言を展開しているのです。

 例えば、誰かから「髪の毛、切ったの?」と言われたとき、『やっぱり、変かなあ』『この人、私に気があるのかしら』『心くばりをする人なんだな』『髪型なんかに気がつく人だったのだ』など、自分への独り言をつぶやいているかもしれません。どのような独り言をしているかによって、返す言葉は違っているでしょう。「似合わないかな?」と言うかもしれないし、「そうです」とだけ返事をして、話題を変えようとするかもしれません。

 私的な独り言では、これまで自分に繰り返し語ってきたメッセージが再生されていることもあるでしょう。例えば、『私は、人の集まる場に溶け込めない』というメッセージをいつも自分に語っていたとしたら、「髪の毛、切ったの?」と言われて、『この髪型は変だから目立つんだ。みんな、きれいにしていて、私だけ浮いている』と、独り言を展開させるかもしれません。

 さらに私たちは、相手の人について、その人の外見や職業などから、どのような人なのかについて想像を作り上げていることがよくあります。私的な独り言の会話は、その想像を基にして繰り広げられるでしょう。

 このような私的な独り言の会話は、そのすべてが常にはっきりと意識されているわけではありません。そして、実際の会話で声に出して表現されていることは、そのほんの一端でしかありません。また、相手の人も、その人独自の独り言を会話に持ち込んでいるわけです。

 私的な独り言の会話は、私たちの物事の解釈や判断、予測などを基に展開されます。そのような、自分自身についてや、物事についての見方や考え方を、ここではまとめて世界観と呼ぶことにします。会話はそのような、お互いの世界観が交錯している場とみなすことができるでしょう。世界観に意識を向けるということは、私たちが自分に語りかけていることに注意を向けて、どうして、そう思うようになったのかについて考えてみることを意味しています。

 例えば、次の問いについて、考えてみてください。

  1. その人だけに聞こえている声と話しをしているように見える人に出会ったら、あなたはその人についてどのような思いを持つでしょうか?
  2. あなたがそう思うようになったのには、どのようなことが影響していると思いますか?(どうして、そのように考えるようになったのでしょうか?)

 私たちの世界観には、文化的・社会的な背景、家族の背景、これまでの個人的な経験のすべてが関わっているでしょう。同じ時代に同じ社会で生活する人たちの間では、さまざまな事柄に関して、ある共通した認識ができているようです。私たちは、知らず知らずのうちに、それらを「真実」あるいは「現実」と受け止めていることがあります。そして、自分が経験してきたこと、経験していることを、そのような社会的に共有された認識にしたがって考えるようになっているかもしれません。世界観に意識を向けることは、そのような社会的に共有された認識・思い込みから一歩退き、どうしてそう思うようになったのかを振り返ってみることにもつながります。

 私的な独り言の会話(と、それを形作る世界観)に意識を向けることによって、私たちは、自分の思い込みや自動的な反応のパターンに気がつき、それとは違った対応を選ぶ自由を手にすることができます。自分の経験していることについて、どうして、そのように考えるようになったのかを振り返り、違った意味づけの仕方があるかもしれないという可能性に目を開くことができます。ただし、それを一人で行うのは難しいことです。別の視点を示されて初めて、その渦中にいると見えないことに気がつくことがあります。

 そして、お互いに安心・信頼できる関係であることが、重要な意味をもたらします。安心・信頼できる関係では、ありのままの自分が出せる、つまり、自分にとっての真実を語ることができそうだからです。そして、人に語ることにより、それを客観視するチャンスを得ます。さらに、批判されないという安心があれば、自分にとっての「真実」を一旦保留する余裕ができ、違った見方を試してみる勇気が生まれるのではないでしょうか。お互いが新たな可能性に心を開いているとしたら、そのような会話のやりとりから、私たちのどちらか一方だけでは知り得ることが出来なかったような、新しい物事の見方や意味づけを、どちらもが得ることになります。

 

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