従来の精神医療では、問題の解決や問題を取り扱う方策を見つけることに焦点が置かれていました。そこではたいてい、何がうまくいっていないのかを話題にしています。しかし、うまくいっていないことから逃れようとしている間は、その問題にとらわれ続けているのです。ピア同士の会話においても、問題への対処を手助けすることに関心を向けていたら、会話全体を大きく変える機会を逃してしまいます(そして、その結果として起きることも)。IPSの会話では、あなたが抱えている問題を私に話し、私はそれを聴いてあなたがどうすべきかを考える、というようなことは目的にしていません。そういったやり方では、問題に焦点をあてるという古い筋書きのなかで、行き詰まったままということになるでしょう。
問題の解決のために手助けすることが、良いとか悪いとかいうわけではありません。ただ、相手の人が助けを必要としているという思い込みによって、その人との会話の可能性が狭められているかもしれないということに気づくことが大切だと考えています。
例えば、次のような会話を重ねていたとしたら、二人の関係はどのようなものになるでしょうか?
太郎さん:どうしたの? 疲れているみたいだね。
花子さん: やっぱりそう見えるかな。なんかまた、やる気が出なくなっていて。仕事をしていても、これに何の意味があるのかとか考えてしまうし。
太郎さん:がんばりすぎなんじゃないの。休みはちゃんと取っている?
花子さん:週末は休むようにしているけど。
太郎さん:上司に相談してみた方がいいんじゃない?
花子さん:そうね、でも変に気を使われるもの嫌だし……。
この会話の中で、太郎さんは、ある意味“専門家の役割”に陥っています。花子さんの問題を探り、解決策を示しています。花子さんがアドバイスを受け入れてくれたら、自分が役に立ったような気がするだろうし、受け入れてくれなかったら、花子さんに判断・批判を下すような気持ちが出てくるかもしれません(例:花子さんはストレスに弱いし、自分では対応できそうにない。しばらく様子を見ていないと心配だ。)。一方、花子さんはどんな気持ちがしているでしょうか? 聴いてもらえている気がしなくて、気持ちが離れていくかもしれません。自分では何もできないと感じ始めるかもしれません。そして、会話は花子さんの“問題”を巡る、閉じたものになっています。
もし太郎さんが、花子さんには助けが必要だという思い込みを持ち込まなかったとしたら、会話は違う方向に展開する可能性もあったはずです。例えば:
太郎さん:どうしたの? 何かあったの?
花子さん: いろいろ考えさせられることがあってね。仕事をしていても、これに何の意味があるのかとか考えてしまって、やる気も出ないし。
太郎さん: そうなんだ、気分が重そうだね。その、いろいろ考えさせられることって何だったのか、もしよかったら、聞かせてもらえるかな?
ここから会話は、花子さんが考えさせられたことを中心に展開していくでしょう。また、仕事に何の意味があるのかと考えてしまうとは、花子さんにとって、どういうことなのかが話題になるかもしれません。花子さんの話を聴いて、太郎さんも考えさせられ、自分の思いを話したくなるのではないでしょうか。花子さんは、太郎さんが自分の話に興味を持ってくれていて、同じような関心や疑問をもっていることがわかるでしょう。このような会話をしていると、二人の関係は、助けを前提にしたものとは違う、お互いに提供すべきものをもっている人としての、相互の関係になっていくでしょう。
IPSは、学び成長しながら人とつながりを感じ、相互的な関係を深めていく過程です。それは創造的な過程であり、問題への対処の過程ではありません。そして、それは一人で行うものではありません。すばらしい即興のバンド演奏のように、お互いに与え、受け取り、共に創りあげていくものです。それぞれの演奏者が、ボイス(声、音)とハート(心)とソウル(魂)をささげ、周りの人のボイス(声、音)とハート(心)とソウル(魂)に耳を傾けます(そして、それから影響をうけます)。奏でられる音楽は、それぞれを単純に足し合わせたものより、格段にパワフルなものになります。このような創造が起きると、誰がどのパートを演じているかというようなプロセスは見えなくなります。演奏者は、エネルギーを受け取り、同時に、エネルギーを生み出しているものの一部になります。そして、創造の過程に参加しなければ見つからなかったことを目にすることができるのです。
会話においても、このような創造の過程がおきうることを、あなたも経験したことがあるでしょう。そして、普段は、そのようなエネルギーを生み出す会話はあまり経験しないということにも気がついているかもしれません。私たちは、次のことが、そのような会話(学びの生まれるコミュニケーション)の鍵になると考えています。