パーソナル・ストーリー 7/8

…6 からの続きです

 私たちは、時間をかけて、新しいプログラムを組み立て始めます。ちょうど感謝祭のときです。入院せずに感謝祭を過ごすのは、私にとっては、数年ぶりのことです。そこで、みんなで料理を持ち寄る、感謝祭の夕食会をすることにします。それは、ちょっとした、しくじりでした。というのは、私たちの多くは、電子レンジでしか料理をしたことがなかったからです。私たちは、自分は“危なっかしい”ので、常に監視が必要だと信じ込まされています。しかし、やがて誰もが、みんなにいい格好をみせたいと、自分も何かを持ってくる、何かを作ると言います。それで、大きな七面鳥が一羽、私が作ったサラダ、電子レンジでできる七面鳥ローストの詰め物が13箱集まります。

 これは、私たちの誰にとっても、長い間でもっとも楽しい時間になります。症状とは関係ない話を沢山し、新たなエネルギーを見出します。昔“ソロジン(精神薬)のせいで足を引きずって”いたことと比べたら、大きな違いです。私たちは、自分で思っていたほど“病気”ではなかったことに気づき始めます。実際のところ、私たちが症状だと理解していたことの多くは、居心地の悪くなる状況への反応に過ぎなかったということに気づき始めます。

 この時点から、私たちは、かなり違った会話をし始めます。問いかけは、それほど用心深くなくなり、より大胆な、とんでもないものにさえなっています。「自分の思うような人生を生きることが出来るだろうか?」「精神病患者以外に何かをやれるだろうか?」「自分たちのサポートネットワークを始めようか?」「病院システムをそっくり取り替えようか?」

 私たちは、ピアサポートの文献のいくつかで、リカバリーという言葉を目にするようになり、興味を持ちます。そして、ワクワクし、元気づけられます。やがて、私たちのケアマネジャーやドクターに、お金を払って得る“友達”ではなく本当の友達を、私たちのために人が決めたことではなく、選択を、そして、最も大切なことに、希望がほしいのだと伝え始めます。

 しばらくして、おびえを感じたり、かなり落ち込んだときに、緊急サービスではなく、お互いを頼るようになります。友達に話を聞いてもらうほうが、自分の身の安全について質問されるより、はるかにいいのです。自信がつくにつれ、私たちは、自分たちで、精神病院にかわるクライシス代替プログラムを始めることにします。現状維持からの大きな転換です。患者がアサイラム(魂を癒す場)を運営する!

 私たちが始めたクライシス代替プログラムでは、入院になりそうだと心配なときにやってきて、お互いを診断評価するのではなく、ただ、話を聞きます。入院させられる心配がないので、死にたいという気持ちについても自由に話せるし、私たちの多くは、一度や二度は、そんなふうな気持ちになったことがあるということがわかります。

 ある青年が、私たちのクライシス代替プログラムを利用したいといって、やってきます。声が聞こえていて、怖がっています。以前に、彼は、何度も長期の入院を経験しています。仕事をなくし、かなりの量の薬を投薬されてきました。彼はすべての人、すべて物から、自分が切り離されているように感じています。彼は、自分に起きていることをわかりたいだけなのだと言います。そして、彼はやってきて、ただ、話をします。4日間、眠らずに話し、自分がくぐりぬけてきたことを説明し、それを聞いた人が、それぞれどう思うかを話し、お互いの経験を比べ、そして、彼は眠りにつきます。物忘れを引き起こす薬を飲まされる3ヶ月の代わりに、彼は、自分が生きていて意識が目覚めていると感じることのできる会話に満ちた一週間を過ごします。これから先、頼りにできる友達ができます。彼は、生態学的心理学の修士学コースのために、自分の経験について、まとめようと決心します。

… 8 に続きます。

文 – シェリー・ミード
訳 – 久野恵理