パーソナル・ストーリー 6/8

…5 からの続きです

 いい感じです。希望が持てる。どこかに向かえるかもしれない。これが本当の変化につながる。

 そして、協力してくれると言ったメンバーたちに、彼らは、どんなことを思い描いているかを聞きます。そして、私はまた、目が開かれる体験をします。私は、こんなふうな答えを期待しています。「一緒に取り組みたいことは、よりより住居、教育と仕事の機会をふやすこと、敬意を得ること、差別をなくすこと、子ども扱いを終わらせること。」しかし、その代わり、次のような返事が返ってきました。「海岸に連れて行って欲しい。料理を作って欲しい。」

 これをして欲しい、して欲しい、して欲しい。私はあっけにとられます。「どうして、こんなふうになってしまっているのか?」私は、私たちのストーリーに再び引き戻されます。まずは、私のストーリーを思い出します。そして、私がどのようなストーリーの中にいたのかを思い出しながら、論理と直感を働かせ、彼らが、その中に入っていると思われるストーリーを想像します。「こんなふうな依存が生じているのは、どうしたわけなのだろう?」「この依存はどこからきているのか?」「これから、私たちはどう進めばいいのか?」3人の子どもを育ててきた私としては、大の大人たちを海岸につれて行くなんて、とんでもない話です。

 私は、しばらく、自分を振り返ってよく考えてみます。そうして、私たちはこのように学ばされてきたのだと気がつきます。これは、良い精神病患者としての役割の一つです。私たちは能力がない、なので、助けを受ける側です。支援者は能力がある、なので、助けを与える側です。それが社会の暗黙の契約です。一方通行のサービス関係は、不能者という終わりのない役割に、私たちを縛り付けます。私たちは助けを与えることは決して許されません。助けを受けるのみです。

 それに気づいて初めて、私たちは、本当の自分について語り始めました。“薬のためにもやがかかり、無能で何も出来ないと思っている、肩の止まり木から、助けて助けてとわめきたてるオウム”のような今の私たちではなく、医者、病院、レッテル、診断名、薬によって作り変えられる以前の私たちについてです。夢があり、家族をもち、才能があり、何か意味のある関係、お互いにとって意味のある関係を持っている人たちです。

 新しいプロジェクトに参加しているメンバーたちに、私はロックバンドのリード・ギタリストだったことがあると話します。彼らは笑います。でも、それが、違った会話に火をつけたようです。いろんなことがわかってきます。ある人は、地学を勉強し、岩石の 成り立ちに詳しいこと。ある人は、軍隊にいて、世界中を旅したこと。ある女性は緊急治療室のナースだったこと。

 私たちは、これまで忘れるように学ばされてきた、自分の一部を取り戻し始めます。無能で何も出来ない、治癒の見込みのない精神病患者という割り当てられた役割を演じることで、社会に適応しているうちに、失い、忘れてしまっていた私たちの一部です。

… 7 に続きます。

文 – シェリー・ミード
訳 – 久野恵理