…4 からの続きです。
しばらくして、私は、音楽をコミュニケーションの手段として、トラウマのサバイバーと関わる仕事をします。それは治療ではなく、社会運動だと考えています。作品を録音することにします。ある日私たちは、不思議な、すばらしいことに気がつきます。それまで、どうして気がつかなかったのだろう。でも、今は、私たちのみんなが気づいています。私たちは音楽の力に気づいています。そして、音楽の力を通して、私たちは、自分たちの力に気づきます。音楽を通して、私たちには何が達成でき、何を表現できるのかを知ります。音楽で表現されていること、つまり、物事の核心に切り込む痛切な思い、意味、リズム、メロディーによって、精神病患者とみなされた自分たちとは、全く違ったものを表現していることに気づきます。その違い(不協和)は、驚くべきものです。そのとき、私は何かがわかった気がします。それは私のことなのです。これが重要なのだということをつかんでいます。私には、自分がそれをつかんだことがわかっています。
私には選択がある、ということです。
私には、自分を精神病患者とみなし、その役の通りに生きるという選択があります。あるいは、私の音楽が私に示しているように、自分の力を自分のものとし、それを生きるという選択もあることを知っています。自分自身についての、その二つのストーリーの間には、広大な狭間があることは避けられません。そして、私は、選択する責任から逃れられないことを知っています。そして、私には自分が何を選ぶだろうかがわかっています。
家庭内暴力センターでの実務研修が終わってからも、私は関わりを続けます。物語(ストーリー)は再定義されうるというアイデアを生かす方法を探すことにします。私のように、自分が選択したわけではないのに、精神病のストーリーのなかに閉じ込められてきた人たちが他にもいることは間違いないと思っています。トラウマのサバイバー・バンドとの経験が示しているような方向で、対話を通して、自分たちと自分たちの経験を再定義することが出来るかどうか、試してみようと考えています。
私は問い合わせを始めます。“ピアサポートプログラム”と呼ばれるものの開発に、州政府が関心を持っているらしいと知り、州政府の当事者部門の部長と会い、家庭内暴力センターでの女性たちとの経験について話します。私はその部長に、どのようにして虐待のストーリーが見失われてしまうのか、そして、虐待の経験があるために精神保健機関に助けを求めに来た人が、精神病の診断名と薬の包みを渡されて帰っていくことになっている、という話をします。そうして、精神科の介入がますます増えて、地域の関わりが少なくなっているのだと話します。精神科のサービスがサバイバーを患者に仕立てているという私の確信を打ち明けます。
「この状況に閉じ込められた人たちのために、何か資源がないでしょうか?」と部長に尋ねます。驚いたことに、ピアサポートのプログラムを始めるための資金があるという答えが返ってきます。ピアサポートとは、同じような状況におかれている人の支えになりたいと思っている、精神保健サービスの利用者によって提供されるサポートだということです。AA(アルコール・アノニマス)のようなものだと。部長は、従来のサービスの代替となるプログラムを始めるために、十分な関心が寄せられるだろう言います。
私は、「それは、すばらしい!」と言います。
それからまもなくして、私は、このプロジェクトの責任者の仕事に就きます。私には二つの使命があります。
1.人々が精神病院に入院しないようにすること
2.過去に暴力を受けた経験を持つ女性が、彼女らの経験を病気とみなさないようにするための関わりを続けること
このとき、私はドロップ・イン(いつでも立ち寄れる)センターというものを知ります。これらは、自らを精神病患者であると思うようになった、あるいは人からそう呼ばれてきた人たちが、スタッフの監督のもとに、日中の時間を過ごす場所だとわかります。そのプログラムは、ビリヤードの台とコーヒーメーカーのある部屋で行われています。ドロップ・イン・センターは、精神病を持つ人たちが、地域での意味のある交流を取り戻す方法として、革新的なプログラムだと考えられていました。けれども私には、それが病院に比べ、それほどましだとは思えません。
私は、ドロップ・イン・センターに行き、そこのメンバーと夕食をとりながら、新しいプログラムの開発に興味があるかどうか聞いてみます。薬のためにもやがかかり、そのもやの奥にかすかに見られる、やる気のようなものにたどり着くまでに、しばらく時間がかかります。それでも、何人かが協力すると言います。
… 6 に続きます。
文 – シェリー・ミード
訳 – 久野恵理