パーソナル・ストーリー 4/8

…3 からの続きです

 時が過ぎます。入退院を繰り返しながら、復学したり休学したりすることを、さらに数年続けています。そうして私は、自分のしている会話のほとんどは精神病に関わることで、友達はすべて、精神病患者であることに気がつきます。私たちは自分たちが病気であると信じていて、お互いに慰めあうことしか出来ません。私は、“精神病患者”としての生きるようになっています。

 あるとき、私は、家庭内暴力を受けた人のためのプログラムで実務研修をしています。ある女性が私に会いにきます。彼女は、勇気のあるサバイバー(虐待を生き抜いてきた人)ではあるのだけれど、他のワーカーたちから、カウンセリングを受けることを勧められていました。地域の精神保健センターを紹介されます。そこに行った次の日、彼女は私に会いに来て、自分は精神病なのだといいます。自分のことをサバイバーだとみるのではなく、病気だとみています。

 何が起きているのでしょう?説明が急に変わったのはどうしてなのでしょうか?昨日私たちは、彼女に起きた出来事について話していました。問題なのは、世の中で起きている虐待なのだと、私たちのどちらもが考えていました。今日彼女は、自分のどこが病んでいるのかについて話しています。

 このことが私を悩ませます。何ヶ月か彼女と話し合っているうちに、私を悩ましていることについて、彼女に問いかける勇気が少しずつ出てきます。「前は自分に起きた出来事について話をしていたのに、今は自分のどこが病んでいるのかについて話している、それはどうしてなのだろう?」

 一緒に、この問いについて考えます。お互いに共有しているストーリーを通して、自己を振り返る小さな口火が切られます。診断名を与えられてから、私たちの人生がどうなったのかを語ります。そして、診断名を与えられてからの人生にとどまっていたいかどうかについて、私たちは、ゆっくりと、いくつか意思決定をし始めます。私たちのどちらも、診断名を与えられているという事実から、ある種の安心感(安全の感覚、もしかしたら、安堵)を得ていることを認めます。ですが、自分の経験が自分にとって、何か違ったものを意味するようになってきています。段々と、自分のどこかが“病んでいる”という考えにチャレンジしはじめ、私たちに起きた出来事が病んでいるのかもしれないと考え始めます。

 悲しい事に、しかしながら、私の世界には、このメッセージを強化してくれる場は他にはほとんどありません。私たちは、無関心な大きな地球上の、小さな二人の女性です。私たちはまだ、自分たちの確信の強さに支えられ羽ばたけるほど強くはありません。私は、入退院という発作を繰り返しています。

 思いがけないことに、洞察と理解は、予期せぬところで見つかることがあります。信じられないかもしれないですが、私が頻繁に入院していた病院の精神科ナースがそれをもたらしてくれます。感謝祭の時です。私はまた、子どもたちの養育権を失いそうだと告げられ、鍵のかかっているドアの前に行き、ここから出してくれと要求します。誰からも無視され、私はドアをたたき始めます。そのナース(すでに、彼女のことを良く知っていたのですが)は、私のところにやってきて、こう言います。「シェリー、自分で選択できるということを知っているよね。残りの一生を精神病患者でありたいか、ソーシャルワーカーでありたいのか、あなたは自分で決めることができるのよ。今から10分で決められるでしょ。」こんなふうに叱られて、私はびっくりします。選択できるということを私は知りませんでした。

 このとき、私はやり遂げます。退院し、歩み続けます。子どもたちを失うことなく。病気のレンズを通してではなく、違った見方を通して、自分に起きたことへの新しい理解を見出し続けます。幸運なことに、このメッセージを強化してくれる友達がさらに数人、現れます。

… 5 に続きます。

文 – シェリー・ミード
訳 – 久野恵理