シェリー・ミードIPSワークショップ: 実践に関して【文字起こし】

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ワークショップ2日目

実際にこれをどのようにして行うかということについて、より明確にしたいと思います。昨日、お話したことは、いろいろな意味で理想を語っています。もし世の中がこんなふうだったら、人々がこんなふうにコミュニケーションができたら、ずっと住みやすい世界になるのにというふうな。なかなかそうはならないのは、私たちがコミュニケーションの仕方を、これをどう実践するのかを知らないからです。(訳注:ここまでの語りはビデオには含まれていません。)

 

ピアサポート・プログラムの理念として、いかにすばらしい文言が掲げられていたとしても、自分の知っているやり方を繰り返し、サービス提供者のような関係性に陥りがちです。これから私がしていることをお話ししますが、まず、皆さんは現在、自分のところで、実際にピアサポートの実践が行われるようにするために、どのようなことをしていますか?ピアサポートの関わり方をどんなふうに教えていて、ピアサポートの価値基準を維持するために、どのような手立てを用いていますか?あるいは何もしていないですか?

 

実際のやりとりの一言一言思い出して、それをグループに持ち寄って、「私がこうした時、これはピアサポートだったろうか?」という話をします。ピアサポートになっていたかどうかを見極める力をつけます。例えば、私がピアスペシャリストだったとして、例えばピア・ブリッジ(精神病院から退院してくる人とピアサポートをするプログラム)で働くピアということにしましょう。そこで私が相手の人に「薬は飲むべきですよ」と言ったとしたら、それはピアサポートの発言でしょうか?ピアサポートの関わり方でしょうか?全く違います。ピアサポートになっているかどうか、微妙なところも見極められるようになりたいと思います。これは良い・悪いということではありません。だた、自分に気がつくようになることです。ピアサポートの価値基準は何であるか、ピアサポートを維持するために何が必要かを理解するだけでなく、それをどうやって教え、維持し、評価し、監督(スーパービジョン)するかについても明らかにしておくことが大切です。監督するという言葉を使っていることを非難されることがあります。これは悪い言葉らしいです。それはみなさんがひどい上司をもったからでしょう。私が受けた監督の経験はいつもすばらしいものでした。

 

これからお話しすることは、このような会話が文化となることをどのようにサポートできるかについてです。それから評価について、私の取り組みを少しお話します。このような文化をどのように維持するかについてです。自分たちのやり取りの例をあげ、あなたのピアセンターでの関心事をお聞かせください。質問をしてください。これを実践的なものにして、これらのやり方を持ち帰って、自分たちのものにすることができればと思っています。

 

違った聴き方(1)

  •  ”知らない”という立場から聴く。
  •  ”語られていないストーリー”に注意を払う。
  •  意味を探索する問いかけをする。
    • それはどういう意味なのか教えてもらえますか?
    • それは~ということなのでしょうか。
    • そう思うようになったのはどうしてなのでしょう?
    •  どういうわけで、xxがそんなにxx(例:きつい、恐ろしい)なのでしょう?

 

昨日、違った聴き方について、少しお話しました。これはとても大事なところだと思います。積極的な傾聴については誰もが教えています。前かがみになる、注意を払う、余計なことを考えない、身振りを意識するなど、これはどれもよいのですが、悪いことはないのですが、これだけでは十分ではないと思っています。なぜなら、昨日ジャッキーが言っていた個人の文化、私が昨日一日中話していたこと、つまり、より大きなストーリーを開くためには、これだけでは十分ではないからです。相手の人が今この話をしている、そこにいたるまでに起きていた全ての事柄に耳を傾けるということです。

 

昨日も言いましたが、照らし合わせる観点から、話を聴き始めたくなります。例えば、「私も入院したことがあるから、あなたがどんな経験をしてきたか正確に理解できます。」と言ったとしたら、それはありえないことです。なのですが、そこは紙一重の違いです。あなたが同じような経験を持っていると、相手の人は聴いてもらえていて、受け止めてもらえたと感じることに仕掛けがあります。 例えば、ピアサポートに初めてきた人に、自分のストーリーを少し話しただけで、その人の顔がぱっと明るくなったという経験がありませんでしたか?

 

経験から聴くこと、自分の経験に響かせてわかること、つながりをつくることで違った会話への扉を開きます。そして、一歩引いて、『知らないという立場』から聴きます。それはどんな類のことに耳を傾けるということでしょうか?

 

参加者の発言:分析、評価などをしないで聴く。

参加者の発言:自分の判断で言っているのか、人から言われたことを、そのまま信じて言っているのかを考えながら聴く。

シェリー:その人は、どのようにして、そういうストーリーを語るようになったのか。そこにいたるまでに何があったのかを聴くということ。

シェリー:聴くということには見ること、聴くこと、それを解釈することも含まれます。普段使っていない意識の向け方をする集中した会話です。そういう聴き方にはどのようなことが含まれているでしょうか?

 

身振りや気持ちを聴くことも含まれます。例えば、もし誰かが、「そうだね、私はいつもたいてい幸せだったし、この病院は、とってもいいところだよ。」と言ったとしたら(沈んだ声や表情で)、あなたはそこからどのようなことを聴き取りますか?

 

(合致していない)合致していない。そうしたら、「この病院はいいところだと言っていながら、あなたは沈み込んでいるように見えたのですけれど、どういうことなのかなと思って・・・」そこから違った会話が展開するでしょう。言葉だけを聴いているのではありません。

 

違った質問をすることについて。

 

意味を探索する問いかけをすることが大事だと思っています。自分の経験をどのように語るのか、経験をどんなふうに理解しているのかについて、人々がそれを考えなおす手助けをする義務が、私たちにはあると考えています。例えば、誰かがあなたのところに来て自己紹介をするとき、「シェリーです、私は双極性障害です。」と言ったとしたら、あなただったら何と言いますか?どう応えますか?

 

参加者: 「私は人間です。」と言う。でも、そうすると混乱した顔になる。

シェリー: その人は精神保健の文化に慣れているので、混乱するのでしょうね。

参加者: 地球にようこそ。

参加者: 双極性障害って、どういう意味ですか?

シェリー: まさしく。双極性障害って、どういう意味ですか?あなたにとって、それはどういうふうな経験なのか、教えてもらえますか?

 

そうすると、こういう答えが返ってくるかもしれません。「あなたは私たちの仲間だと思っていたのに。」「私の経験をわかってくれると思ったのに。」そうしたら、何と言いますか?

 

(経験はそれぞれ違うから)

 

まさしく。「その経験があなたにとってどんな意味なのか、理解したいと思うのです。」
「その言葉がどんなことを意味するのか教えてほしい。」というふうに質問をすることは、「その言葉の意味することは、なんとなくわかります。でもそれがあなたにとって意味することを理解したいのです。」と、敬意を持って聞くことになると思います。押し付けがましい聞き方ではなくて。ピアの間でも、こちらの見方を押し付けるような会話に陥ることがあります。ピアプログラムで繰り返し耳にするのは、「シェリーです。双極性障害です。」に対して、「ここではそういう言葉遣いはしていません。」と応えていることです。それは即座に人を黙らせるでしょう。それは敬意を表していません。妥当なことだとも思えません。

参加者: 初めて診断名を聞いたとき、ほっとする人が多いようです。自分の経験していることは得体の知れないことでなく、名前がついていたのだとわかって。その段階にいる人に対しては、それを受け止めることが大事だと思う。それから、どうやって、次の段階に向かわせるか、じゃないでしょうか。

シェリー: ピアの先輩が、その人を次の段階に導く手助けができるということですね。そのことについてですが、

私たちがすべきことは、もし実際に相互的な関係性であろうとするならば、ただ単に、「最初に診断名を聞いたとき、それは私にとっても助けになりました。ただ、(病気として)自分に起きることだという見方は、今では私には役に立たなくなりました。」と言うことです。「あなたは今はそう思うだろうけど、そこから抜け出すことのお手伝いをしますよ。」と言うのではなくて。この二つの語りの違いが見えますか?それが相互性で、一つ目の語りをすると、相手の人はあなたのストーリーに応じて、「それはどういうこと?」と聞くかもしれません。そうしたら、専門家ー患者といった関係性とは、かなり違った会話が始まります。

違った聴き方(2)

  • 受け止める(問題解決に走るのではなく)
  • 役に耳を向けて聴く
  • 素の自分であること
  • 現実について交渉する
  • 偽りのない、率直で、敬意を示したコミュニケーション
  • ”犠牲者から人”へのストーリーを共有する。

ここに『受け止めること』と書きました。みなさんはすでにこれについてはよくわかっていると思います。ですが、私が研修をしていて、とても頻繁に耳にするのは、受け止めることをしていない会話です。誰かが助けを求めにやってきて、「生活はぐちゃぐちゃで、私は完全に打ちのめされていて、年金も使いこんでしまったし、どうしたらいいかわからない。」と言う人に対して、あなたはどんな対応をしがちですか?ありがちなのはどんな応え方ですか?私がよく聞くのは、「じゃあ、何とかしましょうよ。どうしたらよいと思いますか?」これは、全く、その人のことを聴いていません。あなたが大ヒーロー、問題の解決者になりたいからです。私たちのしたいことは、問題の解決だけではないという点を強調する必要があります。最終的に、誰かが自分の望むことに向かい始めたら、それはすばらしいことですが、問題解決の立場から始まると、関係はどのようになってしまうでしょうか?

 

(サービス提供者)

 

そうですね、それで、必ずしも依存ではないかもしれないけれど、私の問題を私と一緒に解決してくれるのが、あなたの役割だという思い込みが出来るでしょう。なので、まず「今、大変みたいですね。」と言います。他にどんなことを言うでしょうか?

 

(「状況をよくするために、どうしたらいいと思いますか?」)

 

なるほど、それで、次に問題解決に進むのですね。そこのところを指摘しておこうかなと思って。

 

「大変でしょうね。」「力尽きるような感じでしょうね。」「疲れ果てるね。」もしくは「怖い気持ちがしているでしょう。」など。言葉で表現されてはいない何かを聴き取ったら、それを伝えます。そうすると、相手の人は「そうですね、もうただ、疲れてしまって。」と言うかもしれません。それで、そこから話が展開します。「疲れているとき、どんな気持ちになるのですか? 疲れているのは私にとっては怖いことの一つです。身を置いていたい場所ではありません。」それで、あなたは私のことを少しわかります。昨日、私が疲れていたときの様子をみなさんも目にしましたよね。

 

相手の人の気持ち、経験を受け止めることを忘れないようにしましょう。人々はいろいろな経験をしてきています。もし私たちが即座に問題解決に走ったとしたら、ピアの関係を問題解決の関係として意味づけることになります。みなさんはもうご存知だと思います。あなたのところで、問題解決をしている人がいたら、ここに立ち返って、修理することに飛びつくと、関係や会話がどんな展開になるかを聞いてみてください。そうして、人々の関わりの中で自分たちがしていることを意識化できるように働きかけてください。みなさんは、リーダーシップを取る立場で、ピアスタッフを教えることが出来ると思うからです。

 

役に耳を向けて聴くことが出来ると思います。この表現が適切かどうかわかりませんが。例えば、もし誰かがあなたのところに来て、「大量服薬しようと思っている。」と言ったとしたら、それはどのような役柄からの発言でしょうか?違う例にしましょう。「私は仕事なんて無理です。私は病気が重いから。私はあなたとは違うのです。」これはどんな役柄からの発言ですか?どんな役に閉じ込められてますか?

 

ある種の犠牲者の役ですね。人々が陥いっている役柄に気がついているようにしたいです。精神病患者の役割は繰り返し登場します。とくに強力な役です。それは学習したプロセスです。このような会話をするように学んできたのです。どの会話もこうして始まるので。だとすると、そのような発言に対して、まず、その人の言っていることを受け止めて、それから「私も以前はそう思っていて、自分には何も出来ないと思っていたときがありました。それから、xxx」というような、あなたのストーリーを話すことが出来るでしょう。

 

あなたには理解できないところに、誰かがいるとき、あなたはどうなりますか?誰かといて、とても居心地が悪かった経験がありますか?

 

以前私が運営していたプログラムに来ていた友達ですが、数週間に一度くらい、息せき切って、ものすごい早口で、私には単語さえも理解できない、私には外国語のように聞こえる言葉を使い、文がつながらない話をすることがありました。それで私は彼がそんなふうな時、「あなたとこの場に一緒に居ることはできます。あなたが言っていることを完全に理解することはできないけれど、xx分間だったら、人間ができうる限りを尽くして、ここに居ることはできます。」と伝えました。彼の話はとても大きくて、20分以上は聴いていることができなかったので、それを彼と合意しました。私は確かに、彼の痛みを感じることができたし、比ゆが聴き取れたし、彼の感じている絶望がわかりました。そして、関係性の責任を引き受けて、彼と交渉しました。

 

それは現実ではないと伝えるのか、それともその話に同意するのかということが問題なのではなく、どのようにこころを通わせ、つながりを保つのか、それが本当に大切なところです。グループでも同じことです。「その話を5分間は聴くことが出来ます。でもグループの時間でもあるので。あなたはどんなことが言いたのでしょうか。それを言ってみてください。」と伝えることができるでしょう。それからグループの文化としてつながりを作るようにし、また、相互性も保つようにします。

 

正直であることは特に難しいあり方です。特に、「正直なところ・・・」というのが気まずいときには。お互いに、腫れ物に触るようにすることがありますか?

 

(誰かが、クライシスのようなときは、特に難しいです。正直に言うと、その人が傷ついて、クライシスがひどくなるのではないかと思うから。)

 

クライシス状況のことについて話したいことがあります。クライシスを前提として、その言葉で話している限り、(病気が悪くなる)段階に焦点をあてている限り、これはメアリーエレンとも話をすることですが、そうすると、サービスの関係に陥る危険があります。なので、率直な、偽りのない、敬意を示したコミュニケーション、つまり、誰かに「あなたはxxすべきです。」というのではなく、「自分にはxxに見ていて、これが私の感じていることで、これが私の必要としていることです。」と伝えます。くりかえしになりますが、やり取りをすること、正直に、見たこと、感じたこと、必要としていることを伝えることです。いろいろなやり方があります。クライシスかクライシスでないか、という考え方から抜け出すべきだと思います。誰でも激しさの流れに出たり入ったりしているのだと思います。たぶんみなさんも、昨日、私がそうしているのを目にしたかもしれません。それをクライシスと呼んでいる限り、その時期その人は壊れやすいと思い、それが施設化される可能性があります。レスパイト・プログラムに滞在する、クライシスの時期に入るというように。これは私たちの側の思い込みです。

 

(”犠牲者から人になった”ストーリーを話すということについて、もう少し説明してもらえますか?)

 

ピア・スペシャリストの役割になると、人々が指示をし始めることを目にしてきました。それで、誰かが行き詰まっていると、よく、こう言っていることに気がつきました。「WRAPをしたらいいのに。こうすれば、ああすれば。」そうして、すぐに指示的になって、上下関係になります。誰かが、自分もかつてそれを経験したことのある役に陥っていると思ったときは、こういう話をするチャンスです。「入院していたとき、私はこれこれから出られなくなっていて、そのためにこんなふうだった。でも、こんなふうにし初めて、それをするのはとても大変だったけど、それで今はこうなっている。」これは挑戦というか、ストーリーを競い合わせるというのではありません。道徳的なストーリーを語るのでもありません。つながりをつくることができるところです。「あなたの話は、私にはこんなふうに聞こえました。あなたの話を聞いていて、私にも、それに通じる経験があったことを思い出しました。それは、これこれこういうことで、あなたもそんな感じでですか?」というような会話が出来るでしょう。そして、相手の人が、これまで存在するとは知らなかった可能性を示すことです。例えば、診断名の話に戻ると、もし私たちが「私は双極性障害です。」と言う人に、これはもっと長い会話なわけですが、「私にとって、そのラベルがとても大切だったときがありました、それで・・・。」というような会話をします。その会話で、その人がこれまで知らなかった知識の可能性が開かれます。「診断名で語るのは古い考え方だ」というような指示的な言い方ではなくて。

望むことに向かう

  • あなたは何を望んでいますか?
  • 今、あなたが信じていることは、望んでいることの支えになりますか?
  • 望むことを手に入れるためには、どのようなことを信じる必要があると思いますか?
  • どんなふうな感じでいたいですか?
  • そういう感じになれたら、どんなことが出来ると思いますか?

これは昨日もお話しましたが、望むことについて誰かと一緒に取り組んでいるときとても役に立つ問いかけです。多くの人は、いやなことから遠ざかろうとするということにいて昨日、お話しました。それが精神保健の文化です。問題に意識が向けられていること。なので、望んでいることに向かう助けとなる会話をするのはたやすくはありません。私はこの問いかけが好きです。誰かにこう聞かれたことがある人はいますか?うつ、不安の項目の質問をされているとき、「どんなふうな感じでいたいの?」と誰かから聞かれたことがありますか?「そんな感じになれたとしたら、どんなことが出来ると思う?」これは会話を変えます。診断評価されるときは、「気分はどうですか?抑うつですか?自殺を考えていますか?薬は飲んでいますか?」と聞かれて、地面に沈んでいくような感じがするでしょ。

 

(トラウマの経験を聴けないときがあります。自分のトラウマの経験がよみがえってくるので。トラウマのストーリーを聴くことを扱えるように、誰かの助けを受けることが必要だと思う。)

 

あなたに同意するし、気がかりなこともあります。どうしてかというと、私も、とても生生しい経験を語る人のことをどうしても聴けないときがあります。身につまされすぎるから。そういうときは、「今日、今はその話が聴けません。明日はたぶん、聴けると思う。」と伝えます。一方で心配しているのは、「あなたが私の引き金になっている。」ということをよく耳にすることです。それはとても危険で、私はそれがとても気がかりです。人々がようやく、トラウマの経験を語り始めたら、私たち自身がその人たちを責め始めるということが、頻繁に起きています。「あなたが私の引き金になっている。」「あなたが私のトラウマになっている。」と。”身代わりの(二次的な)トラウマ”という考えについて、とても慎重になるべきだと思います。しっかりと意識していなければ、人々を責めることに逆戻りしてしまいます。

相互性:助けについて再定義する

  • どちらの人のニーズも心に留めておく。
  • お互いの”専門性”を尊重する。
  • どちらにとってもの学びに対する期待を持ち続ける。

問題に焦点をあてた会話から遠ざかること、ギアを入れ替えて、お互いが学ぶことを常に期待しているとしたら、会話の意図が変わります。昨日もお話しましたが。わかりますか?

 

これについて質問のある方、いらっしゃいますか?なければ、評価と監督(スーパービジョン)の話に移りたいと思います。

ピアサポートの価値基準

  •  ”医学的”な枠組みを用いない
  • 対処や現状維持ではなく進化
  • 問題に焦点をあてるのではない見方
  • 素のコミュニケーション
  • 本当のコミュニティを作る
  • パワーの共有・責任の共有
  • 助けは双方向に行き来する

”ピアサポートの独自性は何か”に関す論文で取り組んでいる価値基準のいくつかをここに挙げました。私たちが同意できる価値基準があれば、ピアサポートに独自性をもたせ、他から際立ったものにすることができます。そのために極めて本質的な事柄を明らかにします。そうすれば、その価値基準が実践されているかどうかに気づき、それが実践されているとしたら、どのような形で現れ、どのように聞こえ、どの様な感じがするのかがわかってくるでしょう。したければ、それを測ることも出来るでしょう。そうすることで、プログラムや、グループの言動において、関わりの在り方が価値基準に基づいているか、それとも、そこから離れているかに気がつくことが出来ます。それが知識を蓄積するための唯一の方法だと思います。

 

これらをみていきましょう。例えば、誰かが医学的な枠組みを持ち込んでいるかどうか、わかるでしょうか?これは簡単ですね。これをピアサポートの本質的な基準にすることに同意しますか?こういうことを、皆さんのところでも話題にすることができるでしょう。私の言葉通りに受け取らないでください。これらは私がでっち上げたものだから。

 

(どういう意味かよくわからないけど)
分析的な視点をもちこまないで聴くこと。医学的なレンズ、枠組みを通さないで聴くこと。それに基づいた決め付けをしないこと。

 

進化に焦点をあてる。これは、個人的な結果、個人的な成長に焦点をあてるのではなく、関係性、システムの成長、コミュニティの成長、社会変革に焦点をあてるという意味です。

 

私たちがすべきことは、人をどうこうすることではありません。口にしていることを実行します。好奇心にあふれ、興味深い会話に引き込み続け、口にしていることを実行する。そうしたら、それが文化になっていくでしょう。ですが、私たちの動機が誰かを変えることだとしたら、サービス提供の関係性になってしまいます。

 

素の人としてのコミュニケーション。これはどういう意味でしょうか?これらは私の言葉なので、もし、あなたにとって何がしかの意味を成さなければ、意味がありません。

参加者の発言:ここに来る数日前にあったことですが、怖そうな感じの男の人が怒り出して、そこに20人くらい人がいたのですが、みんな何事もないかのように振舞っていました。それで、私が、その人をなだめに行きました。昨日のワークショップの話を聴いていて、もし、私が素の自分として振舞うとしたら、どうしただろうかを考えてみました。グループのみんなと話したと思います。みんなはどうなのかを聞いたと思います。というのも、その人は、あるルールについて怒っていたので。こういうことは実際に起きていて、とても典型的です。私の考えがシフトしたことに気づきました。

そのストーリーを書いて、私に送ってもらえますか?そういうストーリーが、私たちの違いを示す根拠になります。すばらしいストーリーです。「私はこういう研修を受けて、この出来事を考え直した。この出来事はこんなふうになった。」あなたの話してくださったような状況は、とてもよくあることです。何年か前ですが、NY州で資金カットになりそうなプログラムの評価に行ったのですが、そのプログラムは理念上も実践でも、人々を落ちつかせることがゴールになっていました。落ち着いていなければ、そのプログラムに来ることが許されていませんでした。ここでお話してきたような取り組みはシフトを起こします。対話をシフトさせ、会話の全体をシフトさせています。これはそのシフトを示す、すばらしいストーリーだと思いました。これが変化することを示す根拠です。ごめんなさい、盛り上がってしまって。

 

本当のコミュニティを作るとはどういう意味でしょう?

 

(参加者の発言:ピアが自分自身で居られるコミュニティを作る。)

 

私にはこれはもろ刃の剣です。なぜかというと、まず第一に、ありのままの自分で居られると感じられ、関係性を探り、新しい関係性をつくり、つながりをつくる。そういうことのできるコミュニティを作ることは、すばらしいことだと思います。私たちは誰でも、信頼と受け入れられている感覚を持つことが、まずはじめに必要です。しかし、ピアセンターがまた別の施設になりつつあることを懸念しています。それが心配です。「あなたは何をしているのですか?」「一日中、ピアセンターにいます。」そこがあなたにとって生涯のコミュニティになります。実際のところ、プログラム評価では、それを成功とみなしています。利用者数が増えること、もしくは維持していることが成功の評価基準になっています。もし私たちが成功しているとしたら、数が変化するか、望ましいのは減っていくことでしょう。5年、10年、20年、50年後には、ピアセンターがなくなっていて、より健康なコミュニティになっているべきです。私たちは思慮深くなる必要があります。サービスを提供することが目的ではありません。サービスを提供するのが役割ではありません。それがどういうことなのかに、みなさんは日々悩んでいるのだと思います。でも、別の施設を作り出すことはしたくありません。

監督(スーパービジョン)・評価のモデルを使うこと

  • プログラムの価値に照らし合わせて、誰もが、関係のやり取りについて振り返りをする。
  • その情報を使って、何が”望ましい結果”であるか明らかにする。
  • 監督・評価によって、プログラムが定めた結果にもとづいた研究を確立する。

さて、この特別な形の監督(スーパービジョン)あるいは評価では、まず核になる価値基準からはじめます。私がここでしたように、何があなたがたの価値基準なのかを決めます。望ましいのは、それがどういう意味なのかについて、いくらかの同意を得られていることです。そうして、みんなが集まり、自分たちのやり取りについて、価値基準に照らし合わせて、振り返り批評をします。例えば、この週に取り上げた価値基準が『医学的な枠組みを使わないこと』だったとしたら、医学的な枠組みを持ち込まなかったやり取りについて考え、それを描写します。また、持ち込んでしまっていたやり取りについても描写します。どちらも描くのは、正解・不正解という話に陥りたくないからです。誰々は出来ていて、誰々はだめだ、というふうにはしたくありません。気づきを高めるようにしたいだけです。ある価値基準に照らして、自分で振り返ることです。私たちはお互いに優劣をつけるのではありません。実践したいと信じていることを、どのように実践しているかを確かめ合うのです。価値基準と行動が実際にどのように見え、どのように聞こえるのかを、耳にし、目にし、それを知ることです。それがわかれば、その知識を使って、”望ましい結果”を明らかにすることができます。それは進化しているべきで、今日の望ましい結果は、あしたの望ましい結果とは違うはずです。

 

この引用を読み上げます。これは私のお気に入りの語りです。

 

Cheryl  MacNeilと私はこの3年間、メイン州の研究プロジェクトに取り組んでいます。これが私のいわんとする根拠です。私のクライシス研修に参加した女性とCheryl のインタビューからの抜粋です。

 

エリザベス:はじめは居心地が悪かったです。このプログラムに来て、この研修に出ていて、私に起きたことは事実なわけだけど、でも「それで、ここからどこに行きたいの?」というふうにギアをシフトさせて、その先に向かうことをし始めました。それは本当に新鮮な感覚で、とても居心地が悪い。たぶん、幼児が歩き始めるときみたいじゃないでしょうか。不安定な感じ。崩れ落ちるというような、心理士がいう”不安定”という意味じゃなくて、ちょっと、ふらふらしているみたいな。新しい地平だから。

 

シェリル:どんなところが新しいのですか?

 

エリザベス:私は犠牲者であることに居心地良くなっていたのです。親しみがあったというか。それが突然、それを乗り越えるように誰かにチャレンジされたみたい。

 

シェリル:犠牲者の役から抜け出しているのですか?

 

エリザベス:そのとおり。もう犠牲者ではいたくないです。それはいやです。もう十分、打ちのめされてきました。前に進みたい。そこから抜け出して前にすすみ、敬意を示される人になる。この言葉、”敬意”、これまで敬意を示されていると感じたことがなかった。もし、敬意を示されていたとしたら、その人は誰かを傷つけたりするでしょうか。だから、敬意を示される人でありたい。

 

シェリル:犠牲者でありたいというのは全く違うのですね。

 

エリザベス:そうです。私は援助システムの犠牲者になっていた。「先生、お世話になります。先生の指示に従います。先生が処方した量の薬を飲みます。」そうやって、また、犠牲になっていたのです。だから、ここで示されていることが気に入りました。それを一人でやらなくてもいい。ここにくれば一人じゃないから。誰かが私と一緒に取り組んでくれる。

 

これが根拠です。彼女はここで何を語っているでしょう?何が結果でしょうか?この結果という言葉の使い方はうまくないのですが。彼女は何を言っていますか?何が起きているのでしょうか?彼女の語りの中で、何が変化していますか?彼女の何が進化しているのでしょうか?

 

(アイデンティティ)
自分にアイデンティティがあったという気づきですね。自分が今居るところから、一歩引いてみて、それが自分の望む方向なのかどうかを決めるのは、私たちに出来る、とても強力なことです。仏教徒が長年にわたってやろうとしてきたこと、基本的なマインドフルネスの実践です。

シェリー・ミード  安全・安心とリスクについて【文字起こし】

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こころの痛みの言葉としての自殺

  • 自殺は感情ではない。
  • 自殺は常に一つの選択肢である。
  • 死にたいと思うことが癖・依存になっている。
  • ありのままに感じることから自分を遠ざける。
  • 診断評価の会話をしていると:
    • 相互的な関係ではなくなる。
    • いたみについて語ることが出来ない。
    • 新たな対応を見出すことが出来ない。

私は安全とリスクについて、リスクの共有という見方をしたいと考えてきました。自殺の言葉を使うことで、それが精神医療の文化と混ざり合って、死にたいという気持ちについての語りがおろそかにされているようです。誰かが死にたいと口にすると、人々は反応して、即座に、どうすべきかという話になりがちです。自殺というのは感情ではありません。これは行為なわけです。私たちは、激しい痛み、困難な感情を自殺の言葉で語るようになっています。それで診断評価へと導かれます。ピアでさえもです。クライシスの民間対応プログラムの活動をしていると、そういう場面によく出くわします。「病院に連絡しようか?」「かなり危険な状態じゃない?」という診断評価モードに入ってしまいます。もしリスクを共有すること、相互の責任ということに、私たちが取り組まなければ、何かあったときの責任をだれがとるのかという、責任問題への対応に流されて、従来の診断評価のやり方に戻ってしまうだろうと心配しています。そこで行き詰まってしまうでしょう。

 

死にたいという思いは、私たちの多くにとって、反応というか条件反射のようになっているようです。みなさんはどうですか?私はかなり若いときから、こころの痛みと死にたいという思いが直接的に結びついていました。その当時は、こころの痛み、混乱、ひどい出来事から、すぐにそれを自殺という形で行動に移す可能性を考えました。たぶんみなさんの多くもそうだろうと思うのですが、そうしていると、とても困難な感情がおきると、その感情を感じるのではなく、即座に死ぬことを考え始めるようになりました。みなさんはどうすか?そういう経験がありますか?

 

私が治療関係の中で得たことの一つですが、ピアではなく、従来の治療関係にある人から、「自殺は常に選択の一つだから、あなたが自殺するかどうか、私にはそれをコントロールすることはできない。」と言われました。それで、コントロールしようとパワーを行使する関係から離れ、違った言葉で話すことを学びました。

 

私にとっては、死にたいという思いを口にすることは、ありのままの自分で居ることから、逃れることでした。これは、困難なときを経験した人、あらゆる種類の暴力を経験した人にとって、珍しいことではありません。でも、そうすることで、ありのままの自分で居ることからどんどん遠ざかり、気分が良いか、死にたいと思っているか、白黒、そのどちらかでしかないというふうになっていました。今は、もう、そういうことはありませんが。

 

死にたいと思うことについて、それを依存あるいは癖と考えて、ピア同士でその話をしはじめたらどうなるでしょう。電話相談をしているプログラムで、実際に、こういう会話を始めました。そこでは違った問いかけを人々にしています。

 

診断評価の会話に入ってしまうと、どれほどピアであったとしても、そこで相互的な関係は終わってしまいます。交渉はなくなります。こころの痛みについての語りは閉じられます。違った対応に開かれることはありません。なぜなら、その時点でできることは、誰かを入院させるか、させないかだけだからです。

 

関係性に焦点をあてた、違った会話を積み重ねる

  • 自殺を考えることが、自動的な反応のようになって、どのくらいになるのかを聞く。
  • 誰かが死にたいとあなたに言うとき、その人はあなたにどうしてほしいのかを聞く。
  • 診断評価に陥ると関係はどうなるかについて話し合う。
  • あなたが感じていること、必要としていることを伝える。自分の荷物は自分で背負いましょう!

自分も相手も大切です。

 

リスクと危険性についてどう取り扱うのかをまずはじめに話し合っておくことが大切です。実際にそうなる前に、もし、どちらか一方が「もうだめだ。コントロールがきかない。死にたい。」と言ったら、言われたほうはどんな気持ちになるだろうかを話し、どんなふうに対応するかを話し合っておきます。精神科医が患者さんと話をするとき、はじめにこういう会話をしていたらどうなると思いますか?あらかじめ、どんなふうに対応するかを一緒に考えることができるでしょう。

 

自殺の言葉を反応として使い始め、それがパターンになってどのくらいになるのかを振り返ることも興味深いと思います。そのせいで、こころの痛みについて語ることや、どんな状況におかれているのかを語ることから、どれほどかけ離れてしまっていたのかを一緒に振り返ってみることです。

 

誰かが死にたいという思いを口にしたとき、あなたにどうしてほしいのかを話し合うことも、あらかじめしておくと良いことの一つです。何年も前のことですが、私は、暴力を受けた女性のプロジェクトで知り合った女性から、「あなたがそう口にしたとき、私にどう対応してほしいの?」と問われました。彼女は、私より、もっとリスクをとる人で、そこから交渉が始まりました。私は彼女に自分が必要としていることを話しました。それは容易なことではありませんでした。というのは、私がそう口にするときは、自分が何を必要としているのかは考えたくないからです。自分でコントロールしたくはないのです。誰かに私の痛みを何とかしてほしい、私が死にたいと言うのはそういう意味だったからです。

 

もし診断評価を導くようなことになったら関係はどうなるかを、事前に話し合うことも大切だと思います。もし、とても怖くなって、診断評価のことが頭の中を駆け巡り始めたとしたら、関係はどうなるでしょうか?そうなったとき、どうしたら、軌道修正できるでしょうか?私たちは誰でも診断評価をする役割に陥ったことが、一度ならずあると思います。なので、事前に、どうしたら関係性を軌道に戻すことができるかを話し合っておきます。

 

私は、クライシス・プログラムのスタッフ向けに5日間研修をしているのですが、クライシス対応をするピアが、診断評価に陥った状況の後で、それをどう取り扱うのかは興味深いものです。たとえば、メイン州のピアが運営するプログラムに、ある女性がやってきて、彼女は食事を全くしませんでした。誰もがその事態の周辺をうろうろして、「それは彼女の選択だ。」「でも、死んでしまうよ。」「私たちはどうしたらいいの?」「いや、でも、彼女の選択だ。」と倫理上の会話をしていて、誰も、彼女に「私は怖いです。」という人はいませんでした。彼女に「私は、あなたが何も食べないし、何も飲まないでいるのを見ていられません。こわいんです。」と話しかける人はいませんでした。そういう話をするのが関係性の会話です。もしくは「私は、怒りを感じています。」とか。その人の周りを遠巻きにして、踏んだら壊れてしまう卵の殻の上を歩くみたいにしています。実際のところ、私たちは、それほど壊れやすくはないのです。関係性のなかで感じていることをお互いに伝え、自分の荷物は自分で背負いましょう。

 

私たちがしようとしているピアの関係性においては、どちらの人も大切なのです。それがここでお話してきたすべてのことの基盤です。どちらもが大切だとしたら、困難な状況の会話でも、相互の責任についてのやり取りがなされるでしょう。

シェリー・ミードIPSワークショップ: 質問に応えながら【文字起こし】

【この文章の元になった講演の動画は → こちらのページで視聴できます。本文はワークショップの文字おこしの翻訳に若干の修正を加えたものです。】

 

<質問:サポートグループに来て、自分は神の預言者だという幻想を語る人がいるのですが、その話に乗るべきか、それとも、それは現実ではないと伝えるべきでしょうか?>

 

その質問自体が、違った分析から出てくるものです。わかりますか?それは私たちの任務ではないというのが私の考えです。私たちのすべきことは、あなたが経験しているままに、その人とやり取りをしながら、ストーリーの目撃者であることです。

 

<質問:ということは相手の話に乗るということ?>

 

そういう話ではなくて、もしそれがあなたの経験していることではなかったとしたら、あなたがすることは、その人が語っていないことを聴くこと、そのストーリーの背後のストーリーを聴くこと、その人の話の中につながりを感じられる糸口を見出すことです。そうして、お互いが経験していることを語り合い、あなたとの関係やサポートグループの中で、お互いにとってうまくいくようにするには、行動や関係の在り方の面で、どんなふうにできるかを一緒に見つけることです。

 

<質問:あなたが話してきたことは、成熟した人同士の関係のように思えました。私のプログラムには症状のままに行動する人がいて、私は居心地悪く感じ、自分の境界線を守ることしかできません。症状に動かされて行動している人がそこから抜け出せるようにするために、どのような手助けができると思いますか?>

 

それは私たちの誰もが経験してきたことです。新たなストーリーを語るのは簡単に出来ることではありません。みなさんは古いストーリーに閉じ込められていた経験はありませんか?みんなそうだったでしょ?正直になりましょう、みんなそうだったと思います。新たなストーリーを語るようになるまでには時間がかかります。そのためには信頼できる関係であることが必要で、また、事前に取り組むことが大事だと思います。

 

ピアサポートは医学的見地とは異なる理解の仕方を提供する

  •  どんなふうにして、精神病患者としての見方に閉じ込められるようになったのかを考える手助けをする。
  •  自分の知っていることをどのようにして知るようになったのかを問い直す手助けをする。
  •  感情や反応を症状として扱わない。
  •  病気・問題としてみることを前提としない。

 

ピアサポートには意図があり、そのまず第一は、自分の知っていることを知るようになったやり方を学びなおすように、お互いに助け合うことです。それができていなければ困ったことだと思います。

 

次は感情を症状だと考える必要はないということです。みなさんに聞いてみたいのですが、大きな感情と症状の違いは何だと思いますか?あなたの経験からは、何が違うと思いますか?

 

<会場からの発言:感情は誰もが持っていることだけれど、症状は誰にでもあるわけではない。症状があると病気>

 

他には?

 

<会場からの発言:何も違わない。>

 

いろいろな意見がありますね。

 

<会場からの発言:感情は自分が持っているもの。症状は外側から名づけられたもの。>
<会場からの発言:感情は自然な気持ちの動き。症状はそれに影響を与えるもの。>

 

このことは後で再び取りあげたいと思います。もし医学的見地から話をしないのであれば、症状の言葉で話すことは出来ません。かみ合わなくなるからです。

 

<質問:どうしたら、成熟した関係性をつくることができるか?>

 

昔の在り方や知り方に逆戻りする人とは、事前に取り組むことというか、学びを促す要素がとても役に立ちました。ある見方をしているとき、自分の経験から一歩引いてみることです。その渦中にいないときには、「そうなるのは自分ではどうしようもない、自分にはコントロールできない。」ということは難しくなるからです。自分はそうなってしまうのだということを前提としない環境をつくることです。その中で、自分のことを振り返る意識を高める環境です。

 

”助け”は双方向に行き来する

  • スタッフとしての役割は、ピアサポートの関係性を作ること。サービスの提供ではない。
  • 学びの環境をつくる関係に両者が取り組むことが、”助け”であると定義しなおす。
  • お互いにサポートする。
  • 敬意を示した仕方でお互いにチャレンジする。
  • お互いのストーリーの目撃者となる。

では、助けをどのように定義しなおすかについてです。「私はあなたを援助するためにここにいます。」「あなたはサポートが必要な問題を持っている人です。」ということを前提にしません。助けについて見直し、助けの関係ではなく、どちらもが力を注ぐ人としての関係性にすることです。

 

お互いの責任

  • どちらもが自分の感じていること、必要としていることを伝える。
  • どちらもが自分の感情に責任を持つ。
  • 関係において困難が生じたとき、それについて、やり取り(交渉)する。
  • 安全・安心について、どちらもが責任を担う。
  • 関係性が意図的であることに、どちらもが責任を担う。
  • 自分を振り返り、学び、成長するように刺激しあい、支えあうことに、どちらもが責任を担う。

 

ピアサポートでは助けは双方向であること、お互いに責任を担う関係だとお話してきました。よく見過ごされている大事なことがあります。それは治療モデルによって作り出された問題の一つで、援助を受ける側の人々はお返しをしないということです。人々は自分に価値があると感じられないこと、自分が相手の人の助けになるとは思えないことです。役割が伴う場合については、後ほどお話します。サポートをするのが役割となると、報酬に関すること、責任に関すること、相手から助けを受けることへの倫理上の問題に関することなどが議論になるからです。実際のところ、関係性が変わって助けが双方向に行き来し、お互いにチャレンジするようでなければ、「私があなたの助けになる」というのではなく、お互いが成長することに焦点をあてなければ、私のリカバリーのためにあなたが何をしてくれようと何も変わらないでしょう。私は価値のない利用者の役割のままです。このことがもっとも重要で、まぎらわしく、しかし、大切なところだと考えています。

 

ピアサポートを通して、私たちのものの見方、知り方を変え、本当のコミュニティを創出する機会が生まれる。

 

ピアサポートと呼ばれる何かを政治的に利用することはできるでしょう。著しく権利を奪われ、いろんなことを言われてきた人たちとともに、ピアサポートを発展させる機会を手にしています。これは単に精神保健に限られてはいません。これは私たちのものの見方、知り方の変革です。ピアサポートという名のもとで、何かユニークで際立ったことをするチャンスだと思います。私たちの実践に合致する言葉をみつけ、私たちの価値に本当に見合うやり方と原則を明らかにし、ピアサポートの構造、形を使って、より大きな議題を押し進めるチャンスだと思います。

 

ピアサポートには意図があります。それは単なる友達関係にはない意図です。意図的ではない普段の会話とは異なります。人々は場所、構造、環境、コミュニティを必要としていて、そこで十分な安心が感じられ、自分の知っていることから一歩引いてみて、それにチャレンジすることができます。その中で人々が古いストーリーから抜け出すことができるような容器に私たちがなるのです。それを構築し、そこから自分たちの望むことへと向かうことが出来ます。

 

<質問:人種や階層、性別ということすべてがピアサポートに関係してくるとしたら、ピアって何なのでしょうか?ピアであることも一つの要素になりますか?それと、ここで学んでいるようなことを専門職にも教える必要があると思いますか?>

 

すべてのことが関係しています。何が要素にならないかではありませ。医学的な見地による狭い見方とは違って、全てのことを考慮します。

 

専門職に教える必要があるかということについてですが、まず、私たちがコミュニティとして、自分たちのしていることを確立する必要があると思います。これは私がずっと言い続けていることですが、自分たちの任務が何かがまだ明確ではありません。任務がはっきりし、それを定義し、基準をつくって、そうしたら専門職に教えることが出来るでしょう。そうすることで、彼らがこれをうまくサポートできるように。それが私の立ち位置です。彼らがそれを受け入れるかどうかは・・・。率直なところ、私は既存のシステムを変えることにはあまり興味がありません。それより、代替的なシステムを作ることに興味があります。まず、別個のものを作って、それから、お互いに学ぶことができるでしょう。どちらもが成長するように。

 

<質問:文化や人種や社会階層のことも考慮する必要があると、言っていましたか?>

 

そうすることで人が置かれている文脈から、どうしてそう思うようになったのかを考えることが出来ます。その人の背景、文化、人種、経済的階層、トラウマの歴史など、幅広い関心をもって話を聴き、深い理解を得るように努力します。どのように物事が見えていて、どういう経緯があってそう思うようになったのか、それをわかろうとして聴くことに、力を注ぐということです。

 

<質問:トラウマの影響を考慮したという表現をするのは、これは一人ひとりの違いを考慮した関係をつくるということだからなのですね。>

 

それに加えて、私がトラウマの影響を考慮する枠組みにひかれたのは、そう呼び続けるつもりはないのですが、トラウマの影響を考慮することで、人々が置かれてきた文脈に意識を向けることが出来るからです。そして、それについて、何か働きかけること。それに反応、その影響に反応するのではなくて。つまり、社会変革こそ、私たちが焦点をあてるべきことだと考えています。

 

ピアプログラム、ピアの関係、ピアグループなど、どのような構造であれ、みんながお互いのことを良く思って仲良くやっているうちは、物事が順調にスムーズに運びます。しかし何か居心地の悪くなるようなことが起きると、それを学びの機会とするのではなく、居心地の悪さを問題として扱い始めます。ここが興味深いところですが、それで診断評価に逆戻りします。みなさんはどうですか?

 

いろいろなレベルで繰り返し目にすることは、自分のなかでも衝突はうまく扱われないし、一対一の関係でも衝突はうまく扱われないし、システムのレベルでも衝突はうまく扱われません。ピアの関係性では、人々がこれまでの環境で学んだ役を再演することがあります。衝突があると昔の役を演じるようになるのです。衝突が起きると、誰かがいつも姿を消すこと、その場からいなくなること、あるいは、攻撃的になる、犠牲者の役、仲裁者の役を演じるということはありませんでしたか?それに気づいたことがありますか?驚くことではありませんが、衝突のあるような状況では自分が慣れ親しんだ役に陥ります。ですが、それについて話すことはありません。私たちは症状を管理しようとするのと同じように、それを管理しようとします。それで、グループをやめてもらったり、ルールを増やしたりして、さらにコントロールしようとするのです。ですから、恐れ、パワー、コントロールについて振り返り、違った考え方をしてみようと思います。

 

恐れ、パワー、コントロール

  • 恐れたり、居心地が悪くなると反応する。
  • 安全圏から外に連れ出される。
  • 物事を安全圏に引き戻そうとする。
  • 犠牲者の役に陥る。
  • 攻撃者の役に陥る。
  • つながりを切る、消え去る、周りに合わせる、うそをつく。
  • 使えるパワーは何でも使う。
  • 慣れ親しんだやり方に引き戻される。

 

居心地が悪くなるとパワーを使います。いろいろなふうな形でパワーが使われます。ここに挙げたのはどれもパワーを及ぼす、関わりの仕方です。そうすることでコントロールしようとします。プログラムをしていて、はじめは二つか三つルールがあっただけだったのに、ルールがどんどん増えていったという経験はありませんか?私たちのプログラムが始まったばかりのころ、ある日、あらゆるところに張り紙がされていたことがありました。手を洗いましょう、禁煙、後片付けをしましょう。それらの事柄について話し合うかわりにルールができていました。
もし時間が有り余っていたら、パワーを及ぼす、いろいろな関わりの仕方をすべてリストにしてみると面白いと思います。あなた方のプログラムで使われそうな、パワーの使い方の全てを挙げみてください。つながりを切る、姿を消すというのはとても強力なパワーを及ぼす関わりの仕方です。誰もあなたがどこにいるのかわからないからです。私たちはこういう話を十分にはしていません。

 

パワーを使いたくなる状況

  • パワーを持たない気がしたとき
  • 居心地の悪さを感じさせるような状況
  • 誰かが死ぬことを口にするとき

 

居心地が悪くなるとパワーを使います。例えば、パワーがないと感じるとき、自分が強く反応するボタンを押されたとき、だれかが自殺を口にするとき、などです。
今日の午後お話したいことは、このようなパワーを使いたくなるような事柄について、これまで話してきたような、意図的な、違ったふうな会話をすることについてです。誰かが死を口にしたとき、あなたのセンターではどんなことがおきますか?みんなが危険から逃れようとしますか?警察を呼びますか?ときどき、そうする?ケアマネジャーに連絡しますか?あなたがたはどうしますか?自殺に関する会話は、あなたのセンターではどのように扱われますか?

 

誰かがパワーを使ってコントロールしたくなるほど居心地悪くなるような、そうさせるような事柄には、他にどのようなことがありますか?どんな状況がありましたか?

 

<会場からの発言:自分を守りたくなる気がするとき。>
<会場からの発言:罵詈雑言を浴びせられるとき。>
<会場からの発言:相手の人がどうなるかが気にかかるとき。死ぬかどうかというような、大それたことではなくても。>

シェリー・ミードIPSワークショップ: ストーリーが出来るまで【文字起こし】

【この文章の元になった講演の動画は → こちらのページで視聴できます。本文はワークショップの文字おこしの翻訳に若干の修正を加えたものです。】

 

自分についてのストーリーがどのように作られるのかを図式化してみましょう。

 

1.自分に問題があるというストーリーが出来る過程

 

まず、あなたが「あなたは変わっている。出来損ないだ。頭がおかしい。それは自分のせいでしょ。それはあなたが悪いからだ。」というメッセージを、いろいろな文脈で、いろんなふうに、いろんな関係のなかで、長年にわたって受け取ってきたとしましょう。それと同時に、あなたは周りに合わせようとし、どのように振舞うべきかを学びます。人から言われたメッセージを自分でも信じ始めるとともに、トラブルを起こさないために、周りに溶け込もうとするのです。

 

そうして、このような奇妙な在り方が、あまり健康的ではないふうに積み重なっていきます。周囲にあわせた振舞いをしながら、自分はおかしな人間だという考えを信じ込んでいます。そして、「あなたのことを気に入っているよ。」というような人に出会うのですが、あなたは内心で「この人バカじゃないの。私のことなんて何も知らないくせに。私は頭がおかしくて、出来損ないで、最低な人間なのに。」と思います。このようなせめぎあいが積み重なり、人々とのつながりを切ります。関係が始まる前から、いろいろな仕方で関係を断つようになります。なぜなら、いかなる理由にせよ、自分のストーリーの全てを語ることが出来ないからです。そうして周りに合わせて振舞うことを覚えます。

 

これは私の話で、たぶん、この話を聞いたことがある人も多いでしょう。でも、気に入っているのでお話します。ずいぶん前に、ソーシャルワークの学校に通っていたころ、昼間は学生で、夜というか週末は慢性精神病患者をしていました。それは穏やかならぬ状況でした。クラスメイトの多くに”援助”を受けいて、彼らは守秘義務があって、そのことを秘密にしていました。もちろん私もその話はしてほしくはなかったのですが。大変な思いをしながらも、クラスに出席して発言し、自分の考えを話し、自信を感じたりしました。ですがクラスの外に出ると、秘密にしている語りが頭のなかでわき起こり、「自分は何もわかっていやしない。クラスメイトはまともな人たちだけど、私は頭がおかしくて、週末には入院をしているんだよ。ソーシャルワークの学校で一体何をしているつもりなの。」というような語りです。それで二重の生活をしているような気がし始めます。バッドマンと、バッドマンがバッドマンでないときは何だっけ?そうブルース。もっともバットマンの気構えを私は持ち合わせてはいなかったですが。

 

ある年の感謝祭のときに入院していて、そのとき二度目に、子どもたちの養育権を奪われたと聞かされました。単に入院しているからという理由で。今は仕事仲間の、そのときはナースだった人が私のことを良く知っていて、私が学校で苦労していることも知っていました。彼女は私の首根っこをつかんで、「シェリー、あなたはソーシャルワーカーになるの、それとも、慢性精神病患者なるの?10分で決められるでしょ。」と言いました。文字通り、彼女はそう言ったのです。正直なところ、そのときまで私は自分に選択があるとは知りませんでした。違った生き方をする可能性があるのだということを知りませんでした。
そうして、このようなプレッシャーが積み重なっていきます。このような内的なプロセスが、どのような形で現れるにせよ、それにラベルをつけられ、それについて語ることはありません。したがって新たな意味づけがなされることもなく、ただ積み重なっていきます。そしてやがて何が自分の問題なのかと思い始め、そのために助けを求めます。

 

2.専門的援助が必要な問題を抱えた人であるというストーリーができる過程


そうして、あなたは自分は頭がおかしいのだと思い、その問題のために助けを求めに行きます。従来のシステムでは、助けを求めたとき、まずはじめに診断するための評価を受けます。みなさんもそうでしたか?それが初めて会うときの会話だというのは興味深いことです。私は、はじめの会話がその後の会話の道筋を決めると信じています。そのような会話が一度はじまってしまうと、そこから抜け出すことは出来ません。そこに閉じ込められます。自分の問題について助けを求めてきたときのはじめの会話で診断名がつけられます。「そうだったのか!やっと理解できた。」ここで人々は、「よかった。私はxxという病気なのだ。問題のわけがわかった。」と思います。そして、とてもたやすく、魅了されたかのようにその道に入っていきます。症状にしたがって治療が決められます。そうして、今週の診断名どおりに生きるようになります。「診断名はなんだっけ?あ、それできるよ。統合失調症ね、それもまかせて。」というように。そうしてまもなく自分の人生、感情、経験、ものごとの意味づけの仕方、人との関わり方のすべてを症状とみなすようになります。自分の問題の一部として意味づけます。それは恐ろしいことです。

 

この会話に入り込んでしまうと診断名で自分を定義し、私の症状をいかに管理するかが、治療というか援助に関する会話になります。私は症状の詰め合わせが歩いているようなもので、私に出来ることはせいぜい症状を管理することくらいです。「症状をどう管理してますか?」というのは変な質問です。他ではこういうことは聞かれません。美容院で「あなたは症状をどう管理してますか?」と聞かれるでしょうか。考えてみてください。ですが、これが当たり前になっています。そういうふうに話すようになります。

 

そうして、圧力が高まり、激しい感情が起こり始めると、援助者からその感情は常軌を逸しているとラベルを貼られます。そして「クライシスだと感じたら連絡してください。手に負えないときは電話してください。」といわれます。それで私は「手に負えない!」と言います。そうすると、「薬を飲みなさい。」「入院しなさい。」「安全のための契約をしましょう。」ということになります。そうして安全の責任問題へと行き着きます。つまり、あなたは症状の歩く詰め合わせで、それらを管理し、常にコントロールを失う危険性とともにあり、クライシスがいつ来るか、戦争に備えてのプランを立てるようになります。

 

ピアサポートを始めて間もないころのことですが、とてもショックを受けたことがあります。友人が毎年8月になると、入院して電気ショック治療を受けるのだというのです。それをプランにしていました。病院とデートの約束をするみたいに。今は保険会社がそうはさせないでしょうけれど。彼女は文字通りプランを作っていたのです。彼女の頭の中では、自分は精神的なクライシスに陥るのでショック療法が必要であると考え、そのようなプランを立てていたわけです。激しい感情を症状だと思うようになっていたからです。私は違ったふうにできるはずだと思いました。私たちは治療を目的にした組織ではないし、そういう権威、関係性ではありません。違ったやり方をし始めています。ですが、ピアサポートが広まるにつれて、そこにもひび割れを見つけ始めました。

 

3.ピアサポートでも病気のストーリーに逆戻りする過程


さて、今度は助けを求めて、ピアサポートのプログラムにやってきたとします。そこではお互いを診断評価をするのではなく、お互いのことを知り合います。人生の全体について、ストーリーを語り合い、たぶん診断名も教えあうでしょう。私たちはその言葉で話すようになっているので。いい感じになります。ですが、私たちのどちらかが、おかしな行動をし始めると一変します。誰かが困難な状況に陥って、私たちを怖がらせると、突如、診断評価モードに入ってしまいます。そうして、「ねえねえ、スティーブンの行動、最近おかしいよね。ケアマネジャーに連絡すべきだろうか?」こういう会話がなされます。誰かの居心地が悪くなると、たいてい、こうなります。それが私には気がかりです。というのは、誰もが元気でというか、”症状”の管理が出来ている間はよいのですが、物事が混乱しはじめると、自分たちにされたような行動をし始めます。それが気がかりです。私にはそれは助けになるとは思えないからです。それが私たちのやりたいことではないと思います。ピアが運営するクライシス代替プログラムをしていて、それは私たちが望むやり方ではないことは明らかでした。

 

それはそうと、このようなダンスがはじまって、「もし間違ったことを言ったらどうしよう」と心配し、それでこの質問が出てきます。「身の安全は大丈夫?」「安全の契約にサインしますか?」このような安全の責任をめぐる質問をして、パワーの駆け引きをし始め、しないようにしていた医学的な分析をし始めます。そうして、これまで築いてきたピアの関係性はもはや、対等な関係ではなくなります。スタッフとメンバー、支援者と利用者、昔と全く同じ話です。お互いに助けるのではなく、誰かが病気か病気じゃないかという思い込みが始まります。
このパワーの駆け引きをしっかりと意識していることが大事です。どうすれば違った会話に立ち戻ることができるでしょうか。

 

4.相互に責任を担う関係性のストーリーが出来る過程


助けを求めて、ピアサポートにやってきます。同じプロセスです。お互いの話を聴き、お互いのことを知り、あなたがつらいときに一緒に恐れに向き合い、お互いにこういうようなことを伝え合います。「あなたがこぶしで壁を叩いているのを見ると、とっても怖くなります。あなたと一緒に居ることはできるけれど、手の骨が折れるんじゃないかと思うと、その場に集中して居ることが難しいんです。」こういう会話をお互いにすることができます。そうして、一緒に恐れと向き合います。お互いのことを診断評価するのではなく。私たちは助けに関する責任を外部の専門家たちにゆだねるのではなく、自分たちの関係のなかにおいておきます。

 

このように一緒に困難に向き合い、交渉し、パワーについて語り、衝突と安心・安全について語ります。そして、どちらもが会話にとどまっていることができるよう、どうしたら安心できる関係をつくれるだろうかを話し合います。どちらもが力を注ぐ関係であるために、お互いにどうすることができるだろうかを話します。

 

これは私の理論です。同意すかどうかは自由です。もし、大雑把な意味で、精神の病というものがあるとしたら、これはつながりの断絶に関することだと信じています。よい表現がないのでこういう言い方をしますが、現実から離れていて、かつ、つながりを保つことは出来ないと思います。なので人と人とのつながりについて考えたいと思います。交渉、パワーの駆け引き、より深い関わりの在り方であること、それらが私たちの取り組みの核になることです。

シェリー・ミードIPSワークショップ: ピアサポートの独自性【文字起こし】

【この文章の元になった講演の動画は → こちらのページで視聴できます。本文はワークショップの文字おこしの翻訳に若干の修正を加えたものです。】

 

今がその時です。このような会話をするための基盤は作られました。私の人生において、どのような助けやコミュニティを望んでいるのかについて声をあげ、それを作り出すことが、今ほど重要な意味を持つときはありませんでした。これは私たちの全てが取り組むことです。口にしたことを実践し、やりながら練習し、サービスのなかにも実践を取り入れることがが求められています。ピアサポートの実践の基準を作り、研究のための方法論を構築することも。そうして共通の語りができるようにするためにです。既存のサービスの代替になるものを作り出すのは私たちです。援助とは根本的に異なる関わり方をし、人々が自然なサポートを再び作り始めることが出来るようにするのです。精神保健サービスによって損なわれたコミュニティを再構築するのです。

家族に代々伝わってきているトラウマの経験が与える、深遠で否定的な影響について多くを学ぶにつれ、家族を含む社会システムの多くは、“トラウマによって組織されている”ということが見えてきます。これは、個人にとって、家族にとって、より大きな社会的なグループにとって、繰り返されるトラウマの経験が、その中核となって全体を取り仕切るような経験になっているということです。種としての私たちの発展は、世代をまたがるトラウマによる試練に深く影響を受け、健康であるというのはどのようなことかがわからなくなっています。Bloom, S., (1995). Creating Sanctuary in the School. Journal for a Just and Caring Education I (4): 403-444.

これはサンディ・ブルームという人の論文からの引用です。私が大学院で学んでいたときに出会った人ですが、治療についての反動的な運動に関するすばらしい論文を書いています。彼女は社会精神医学の初期のころの人で、精神医学が人々に及ぼしてきた危険な側面について論じています。このスライドを読み上げることはしません。このスライドが示唆するように、これまで援助の名の下に提供されてきたことは、必ずしも助けになっていないということについて、話を始めたいと思います。援助は関係性に目を向けず、コミュニティを作ることの助けには必ずしもなっていません。

 

では、どうしたら違った在り方ができるのかを今日みなさんとお話したいと思います。ピアサポートを意図的で焦点の定まったものにするためにです。私たちは、それぞれニーズや望みも違うし、住んでいるところも働いている地域も違います。ですが基本的な考え方に同意して、お互いにサポートすることはできるでしょう。ピアサポートを自分たちのものにし、自分たちの知識にすることです。それは何か一つのモデルを制定しようというのではありません。それは私の関心事ではありません。ピアサポートが全国的に大きな現象となっている今、ピアサポートを際立たせていることは何か、ピアサポートをユニークで独自のものとしているのは何かを考えるときだと思います。そして助けという概念、それが私たちに何を意味しているのかを考え直すことです。

 

ピアサポートの独自性

  •  “医学的な解釈”を持ち込まずに、お互いの経験について理解を深める。
  •  その人の人生に影響を与えている背景の全体について理解を深める。お互いのストーリーが開かれるような聴き方をする。
  •  診断や評価するのではなく、お互いの経験の目撃者として、その場に居ること。
  •  自分たちにされたことをしているとき、そのことについてチャレンジし合う。
  •  問題の本質はどこにあるのかを見極める。

“医学的な解釈”を持ち込まずに、お互いの経験について理解を深める。
まず第一に、ピアサポートは医療の観点からすることではありません。それは私たちのバックグランドではないし、私たちはそのようなトレーニングも受けていません。おそらく私たちの関心事ではありません。

 

その人の人生に影響を与えている背景の全体について理解を深める。お互いのストーリーが開かれるような聴き方をする。
医学的観点を持ち込まないことで、人々の生きる在り方の全般にわたる文脈への理解を深めることが出来るでしょう。どのようにして、ある考え方をするようになったのかに思いをめぐらせます。単に文化や性別だけではなく、経験を意味づけの仕方に影響を与えている全ての側面に目を向けます。私たちは自分が語るストーリーによって、自分にとっての現実を作り出します。自分に言い聞かせているのです。そう思いませんか?いろいろなストーリーを聴き、ストーリーを広げ、ストーリーを進化させるように、お互いの話を聴きます。共通の特性があるわけではありません。違った聴き方をすることでお互いの助けとなることが大切なのです。それは語られていないストーリーが開かれ、経験の本質に迫るような聴き方です。どのようにして、そう思うようになったのか、そのような意味づけの仕方をするようになったのかが現れてくるような聴き方です。

 

診断や評価するのではなく、お互いの経験の目撃者として、その場に居ること。
3つ目の点は、簡単そうに聞こえるけれど、実践するのはとても難しいことです。これまでピアサポートでは、お互いのストーリーを聴くことについて、審判を下さないこと、人のために物事を決めないなど、よい働きをしてきたと思います。ピアの運動は自己決定、各自の選択を尊重するという点で功績がありました。ですが、難しい状況になると、ピアプログラムの人たちの間でも、お互いを診断評価するダンスが始まることに気がつきました。「薬はちゃんと飲んでるの?」というような会話をピアセンターで耳にします。こういう会話がなされるのは、私たちがおびえを感じるときです。これについては後ほど話をしたいと思います。相手の人のストーリーの目撃者となり、語られていないストーリーが開かれるような聴き方をすること、そして、人のことを直そうととせず、ただその場に一緒に居ることは、たやすいことではありません。

 

自分たちにされたことをしているとき、そのことについてチャレンジし合う。
直そうとせず、問題解決志向に入りこんでいないかを意識した関わり方をしていると、お互いに挑むことができます。ピアサポートの知識を構築して、助けについて新たな在り方の経験を積み重ねることで、「薬を飲みなさいと言われると、ピアの関係でないように思えるのだけれど。権威的に聞こえて診断評価されているように感じるんだ。」ということをお互いに伝えることができるようになるでしょう。

 

問題の本質はどこにあるのかを見極める
最後に、人を問題としてみるということ、問題を持った人としてみることについてです。精神保健の会話は、全て問題に関することで問題にだけ焦点があたっています。「問題にどう対処している?」「問題をどう取り扱っている?」「あなたの問題はどんなこと?」という問題の会話に飽き飽きしてませんか?結局のところ、問題はその人ではなく、その人の置かれている文脈や、その人がどのような経験をしてきたかということに関わっていると思います。私たちがサポートをしあう、その仕方にあるのだと。私たちが、自分はどんな人だと思い、どのように世界と関わるようになったのか、それを形作る出来事に関心を寄せるべきだと思います。 率直なところ、個人を問題と観るのではなく、問題を文脈から捉えたとしたら、このような精神医療サービスは要らなくなり、診療報酬を決めて、保険会社が誰がいつどのようなサービスが必要かを定める必要はなくなるでしょう。

シェリー・ミードIPS講演会 (3/3): IPSの4つのタスク【文字起こし】

【以下の文章は、シェリー・ミード氏が2009年12月に東京の上智大学で行ったIPS講演の書き起こしに、若干の加筆修正をしたものです。この文章の元になった講演の動画は → こちらのページで視聴できます。】

 

ここまでは理論的な枠組みについてお話してきました。次は、IPSをどのように実践するか、実践を導くタスク、原則についてお話します。

 

IPSの4つのタスク

つながり

先ほどお話したような関係性は4つの段階から導かれます。まずはその概要をお話します。

 

一つ目はつながりです。これが最もわかりやすいものです。お互いのためになり、お互いの力を引き出すような関係性であるためには、まず、つながりがなければなりません。ピアサポートでは、明らかなつながりがあることが多いでしょう。「私と同じ経験をしている人がいたのだ。」というのが、まずはじめの強力なつながりになります。

 

ですが、つながりをつくるのは、それだけではありません。自分がどのように自分の経験を意味づけているのか、また、自分はどのような価値判断をしているのかに気づかずにいると、相手の人や状況について、数限りない決め付けをしていることがあります。ピアサポート・センターをしていたときに、人々がこういうのをよく耳にしました。「私も全く同じ経験があるから、よくわかるよ。」と。これは問題です。というのは、他人が経験したことの全てをわかるということは、ありえないからです。

 

ピアサポートのつながりはとても強力なのですが、それが制限になることもあります。とくに否定的な経験を媒介にしてつながりができていると、それを慰めあうことにとどまってしまうことになりかねません。そうならないためには、人や関係の全体をみる、より内省的な過程が必要でしょう。

 

世界観

自分はどうしてそのように考えるようになったのか、どのような背景でそう学んできたのかに意識を向けます。そして、相手の人が、そのように考えるようになった背景に意識を向けます。人が語るストーリーを聴いているとき、ストーリーの表面上の言葉だけにとらわれて、話の半分しか聴いておらず、その背後にあることに耳を傾けていないことが多々あります。そう考えるようになるまでのすべてのストーリー、それをとりまく意味づけのあれこれについて思いをめぐらすことをせず、語られたストーリーの表面だけにとらわれてしまいます。

 

意識することで、自分の経験を一歩はなれて見ることが出来ます。自分に見えていることを意識しているというのは難しい概念で、マインドフルネスとして心得ている人も多いようです。それは、自分の思い込みに気づき、相手の人について、持ち込んでいる思い込みを意識してみることです。自分の思い込みで物事を認識し、判断するのではなく。

 

相互性

どのようにして、そう思うようになったのかに目を向けると、関係性がいくらか開かれます。人がどのような経験をしてきたのかを理解し始めると、関係性は深まるからです。それと同時に、自分についても振り返り、自分が知らず知らず信じていることや思い込みに気がつきます。相手の人についてより深く知り、語られているストーリーの背後にある、より大きなストーリーに関心を持つと、その人がどうして、そのようなストーリーを語るようになったのかがわかり始めます。それが相互性を導きます。ここがインテンショナル・ピアサポートの鍵になるところです。相互に学び成長する関係性であることです。これは容易にできることではありません。ピアサポートは簡単に聞こえるかもしれませんが。

 

相互性は単に仲がよいということではありません。どちらもの努力を必要とします。できるだけ偽りがなく、透明であることが求められます。援助関係に陥っていると、自分が必要としていることに対して正直になることに、居心地の悪さを感じるかもしれません。そうして、恨みの気持ちが出てきたり、負担に感じたりします。人々は私たちが思うほど壊れやすくはないのです。もし自分の必要としていることや感じていることを明らかにせず、双方にとって、関係がうまくいくためのやり取りをしなければ、必ずしもお互いのためにはならない力動をもたらすことになるでしょう。

 

報酬をもらって、ピアスタッフとして雇われた人との関係となると、相互性はややこしくなります。片方が持っていない役割を、もう片方が持つことになるからです。相互性に焦点をあてるのはそのためです。

 

昨日、昨年IPS研修を受けた人たちの数名がワークショップにきていて、相互性は衝突がある場面でのみ求められると理解していたと聞きました。そうではなく、相互性はひらめきや新しい視点が生まれて、刺激を感じられるような対話のことを意味しています。つながりを感じられた人と、さらに深い話をして、お互いのことがわかってきたときの対話です。

 

向かうこと

つながりをつくり、人のことをもっとよく知り、どちらもが関係を深める努力をしているとき、何かに向かい始めるエネルギーが出てきます。新しい方向性のようなものです。精神保健では、うまくいっていないことから遠ざかることに焦点があてられています。望まないことに焦点をあてたり、それに対処するのでなく、望むことに焦点をあてるというのは、いろいろな意味で、新しい考え方です。
それでは、4つの段階あるいはタスクのそれぞれについて、詳しくみていきましょう。

 

つながり‐つながりを切ること‐つながりの再生

つながり

  • その場に居ること(意識を集中させて)
  • あせらないこと
  • 心を開いていること(批判・判断を持ち込まない)
  • 自分の反応に気がついていること
  • 関心・興味を持っていること
  • ありのまま・素の自分であること

これらのどれも納得できるものだと思います。ただし、口で言うのは簡単ですが、実行するのははるかに難しいことです。IPS研修に参加して、このような関係性をつくることに力を注いできた人たちは、このような関わりには忍耐と努力が必要だと証言してくれるでしょう。

 

つながりを作るのに大切なのは、ただその場に居ること、心を開いていること、応じること、あまり決め付けをしないようにすること、自分の思い込みに気がついていること、関係をつくるのに辛抱強くあること、などです。私は、つながりをつくることに必死になりすぎるときがあり、そうすると、押しが強くなってしまいます。つながりをつくることに一所懸命になって、でも、つながりはできない。それが数週間後、私の言った何かが相手の人に響き、つながりができるというようなことがあります。そのはじめのつながりを作るためには、あせらないことが大切です。

 

心を開いていること、変化するのを厭わないこと、受け入れようとすること、興味をもつこと、も大事です。精神医療の世界で、特に患者の立場として身についたことは、自分のことしか話さないということでした。私のどこが悪いのかについて話すことしか学びませんでした。それで、しばらくの間、人に興味を持とうとするのがぎこちなく感じられました。何を聞いたらよいのかわからなかったのです。それは悲しいことで、その場に居て、心を開いて、それほど親しくない人、あるいは、必ずしも気に入っているわけではない人に興味を持つのには努力を要します。

 

つながりを切るもの

  • 自分の話を使いすぎるか、自分の方が上をいくという態度
  • 批判・判断を下すこと
  • 議論したり、教えを述べること
  • アドバイス(忠告)する こと
  • 同意、承認、ほめること
  • 解釈や分析をすること
  • 同情、一緒に惨めな気分になること
  • 冗談めかすこと
  • 会話を独占する、自分の議題を押し付けること

つながりは永遠に続くものではありません。何か言ったり、したりして、つながりが切れることはしょっちゅうあります。でもそれはこの世の終わりではありません。どのようなことが、つながりを切ることになるのかを知っておきましょう。みなさんはサポートグループにかかわったことがあるかどうかわかりませんが、ピアサポートのグループで興味深かったのは、人々にとって自分のストーリーがとても大切で、人の話を本当によく聴いて、心を開いているのではなく、自分のほうが上を行くということ、つまり、自分のストーリーのほうが立派だと示したがるという傾向でした。皆さんも経験があるかどうかわかりませんが、これはピサポートの邪魔になります。

 

ここに挙げた、つながりを切ることのどれも、みなさんには明らかなことでしょう。いくつか、それほど、当たり前とは思えないものもあります。たとえば、同意、励まし、ほめること。この考えをはじめて聞いたとき、誰かに同意をしたからといって、つながりを切ることにはならないだろうと思いました。ですが、同意をすることで人を操作しようとすることがあると気がつきました。たとえば、息子が、「お母さん、部屋を掃除したよ。」といったとき、私が、「そう、よくやったね、えらいね、すばらしい。」といったとします。その時私が本当に言っていることは、『いつも、しなさいね。』ということだったりします。

 

つながりを再生させる方法

  • 起きたことを口に出して言う (今、つながりが切れたようでしたね?)
  • 自分のパートに責任を持つ
  • 謝る (ごめんなさい、集中してなかった。もう一度、やりなおしてもいいですか?)
  • 尋ねる (何か気に障るようなことを言ったでしょうか?)

つながりが切れたとしても、あるいは、何かしらあって、つながりが切れているのかどうか不確かなときでも、つながりを再生するためにできることがあります。つながりが切れることは会話の最中によくあることです。私にとっては、ここでは、日本語がよくわからないので、というか単語を4つくらいしか知らないので、人が私に話しかけているときに、つながりを保つのがとても難しいです。関心をもち続けていようとしても、言葉の壁があって、理解できず、通訳を待たなければなりません。しかし、つながりを失ったときにできることがあります。つまり、「ことばが理解できなくて集中できませんでした。ごめんなさい。」ということです。それらのことが、つながりを再生する助けになります。

 

ですから、つながりを意識していることがとても大事です。つながりがあるときとないとき、つながりを再生させる必要のあるときに気がついていることです。

 

世界観-どのように世界が見ているのか、どうしてそう思うようになったのか

世界観

  • 自分自身や世界がどのように見えているか(信じていること、価値観、考え方、物事がどうなるかの予測)に意識を向ける。
  • どうしてそういう見方・考え方をするようになったのかに関心を持つ。
  • 人はさまざまな経験をへて、自分についてのストーリーを作り上げている。
  • そのストーリーに基づいて、人の反応を解釈し、“現実”を作り出す。

次は世界観について。これはわかりにくい概念です。というのは、自分の経験していることから一歩離れてみて、自分の考え方や行動の仕方を観察するのは難しいことだからです。私たちがどのように自分のことを見て、信念がどのように形作られきたのか。そして、私たちのもつ価値観が人との関係にどのような影響を与え、信念がどのように思い込みに影響しているのかということを考えてみましょう。自分の信じていることが見えてきて、それを脇に置いてみることができると、相手の人に対する決め付けをそれほどしなくなります。

 

世界観の別の側面は、私たちの経てきた歴史に基づいてストーリーが作られるということです。そしてそのストーリーを通して世界を理解します。たとえば、私は研修をすることに不安があるので、古いメッセージ、古いストーリーが、頭の中にわいてきます。『笑いものにされる』『自分はバカだ』というようなメッセージです。そうすると、私は、人の反応や表情を、そのように解釈します。そういう現実を自分で作り上げているからです。そして、実際にそうなるように仕向けます。自分もそうだという人はどのくらいいますか?自分で現実を作って、それに加担し、そのストーリーから一歩退いてみようとはしません。なれきってしまっているからです。

 

スティーブン・カビィが提唱している公式があります。これは、何か違う結果を得るために、何か違ったことをするには、ものの見方を変える必要があるということです。もし人からの批判、否定的なメッセージを通して物事を見ていたとしたら、緊張が高まり、間違えをして、それで人々が混乱した表情になり、それが私の信じている『自分がバカだ』という見方を強化します。

 

演習をしましょう。この椅子に座っている女性はあなたが知っている人だとします。彼女はどうしたのでしょう?どんな状況なのでしょうか?あなたのはじめの印象を書いてください。そして、そう思ったとしたら、あなたはどうしますか?声をかけるか、何かするか、あなたが反射的にしそうなことを書いてください。

例えば、もし彼女が抑うつのように見えたとして、「元気ないね、気分がよくなるといいですね。」とあなたが言ったとします。実際には彼女は、物思いにふけっていただけで、抑うつではなかったとしても、抑うつに関する会話をその人と始めることになるかもしれません。もし私が考え事をしていたときに、誰かから、「元気ないみたいだね、どうかしたの?私に何かできることがある?」といわれたら、「そんなに具合悪そうに見えるのかな。どうしたのだろう、調子が悪いのかな。」と思って、自分は抑うつなのかもしれないと思い始めるかもしれません。あなたの思い込みによって、そういう会話が作り出されます。

 

この写真をみてある男性は、自殺しそうなほどのうつに見えるので、警察か救急に連絡すると言いました。もしそうしたら、どうなると思いますか?別の人は、この女性はノーベル賞を受賞して、賞金の使い道を考えているのかもしれないと言っていました。

 

思い込みがいかに物事を左右するのかがわかるかと思います。私たちの見方が、これらの会話を作り出します。そうして、関係性に影響を与えるストーリーを作り出します。もう一つ、お聞きします。もし、彼女が座っているのは精神科の病院の中だといったら、あなたの思い込みは変わりますか? 私たちは、人がどのようなところにいるのかによって、物事を意味づけていることが多いようです。

 

相互性

相互性

  • 相互性は二つ、あるいはそれ以上の世界観の橋渡しをする。
  • 対話を通して、新しい理解が生み出される。

お互いの世界観が違うことは良い知らせです。自分に見えているものをより透明にして、自分の思い込みを明らかにすれば、対話の機会が生まれます。そこに相互性の概念が入ってきます。これはピアサポートにとって、とても重要なことです。相互性とは二つ以上の世界観をつなぐ橋です。そして、対話を通して理解が生まれます。

 

相互性は・・・

  • お互いにサポートすることだけを意味しているのではない。
  • 双方にとっての学びを生み出すことができる。
  • お互いに、偽らず、隠し事をしていないことを意味する。
  • 力(パワー)の問題を意識していることを意味する。

相互性の概念は、ピアサポートではとても興味深いものです。ピアサポートをする理由は、それがより相互的であるからなのは明らかです。ですが、もし、問題やお互いに助け合うことに焦点が置かれていると、それは助けを交換していることになります。「あなたを助けてあげるから、あなたも私を助けてね。」というような。それは関係を通して成長するというのとは違います。相互性は、どちらかが落ち込んでいるときに、助けを提供したり受け取ったりするというのではなく、物事について語り、新たな、貴重な可能性を生み出すようなスペース、環境を作ることです。そのスペースには偽りがなく、透明であることを前提にしています。物事についての見方が違うとき、透明なスペースで対話をすることは難しいでしょう。そういうときに、自分に見えていること、感じていること、必要としていることを伝えることは本当に難しいことです。

 

相互性は希望を感じさせる対話で、向かうことに導いてくれます。衝突があると、それがしにくくなります。そのために、相互性は衝突のあるところでのみ問われることだと思った人もいたのでしょう。相互性はより透明になり、可能性に開かれる過程のことです。

 

相互的でしょうか?

  • あなたのリカバリーを手助けするのが私の仕事です。
  • 人の助けになれると気分がいい。
  • 私のためになったことをあなたも試してみるべきです。
  • お互いに学んでいると思えるためには どうしたらいいのだろう?

これらの発言を見てみましょう。ピアサポートでよく聞かれるものです。特に、報酬を受けている立場、クラブハウスなどで役割のある立場、片方が相手の人のために雇われているというようなところでよく耳にします。この発言に相互性があるかどうかを考えてみてください。

 

「あなたのリカバリーの手助けをするのが私の仕事です。」これはどういうことを示唆していますか?この発言から、関係はどこに向かうでしょうか。「あなたのリカバリーのお手伝いをさせてください。」と、ピアから言われたら、関係はどうなると思いますか?一方が専門家となり、助けることを前提にして、もう一方は助けを受ける側になります。ただ、この発言は微妙で、だめだとは言い切れないところがあります。私たちはお互いにサポートをするし、より良い人生に向かことを望んでいるのですから。ですが、まずはじめにこう言ったとしたら、あまり、相互的な関係にはならないでしょう。

 

「あなたの助けになれてうれしいです。」というのはどうでしょう。助けることの喜びに焦点をあてていると、自分の成長には目が向きません。相手の人が助けを受けていると感じることで、自分の成長の感覚が得られているのだとしたら、相互的な関係にはなりにくいでしょう。

 

「私はこれをして良かったから、あなたも試してみたらいいのに。」というのも、よく聞きます。この発言で、片方が相手にアドバイスを与えていることは明白です。それは、必ずしも最善のことではありません。ピアサポートでは、経験を共有するために集まっている部分が大きいわけですが、ピアサポートとは、自分たちの経験を人に押し付けることだと思っているのだとしたら、いろいろな問題が生じてきます。

 

向かうことに焦点をあてる

向かうこと

  • 向かうことは、あなたが望むことについての、はっきりとしたビジョンを描くことを意味している。
  • 避けることは、うまくいっていないことに焦点をあて、そこから遠ざかろうとすること。

インテンショナル・ピアサポートの四つ目のタスクは、向かうことという在り方です。つながり、お互いのものの見方を知ること、相互的な関係性であることを通して、エネルギーが生まれ、何かに向かう感覚が生じます。これは、障害に焦点をあてていること、問題を避けようとしているのとは異なります。

 

これは、それほど簡単なことではありません。では演習です。あなたが向かっていることを二つか三つ書いてください。それから、あなたが避けようとしていることを二つか三つ書いてください。

 

これは、ごくわずかですがとても重要な発想の転換です。WRAPをやっている人は、この考えが身についていると思います。自分の望まない人生にならないように何をするかではなく、自分の望む人生を作り出すために何ができるかに目を向けさせてくれるからです。

 

IPSが示唆すること

IPSが示唆すること

  • ピアサポートの関係は他の関係に影響を与える。
  • さまざまな見方に対して、心を開くことになる。(多数の真実を受け入れる)
  • 地域での会話を変えることになる。
  • “全地球的な思考”を始めることにつながる。

最後に、このような関係性が示唆することについて、少しお話します。それで時間があったら、先ほどしようとした演習をしましょう。ピアサポートがもたらす影響を測ることもできると思います。その一つは、この新たな、相互に力を与え合う関係が、他の関係のモデルになることです。その波及効果を思うと、これは単にリカバリーではなく、社会変革を意味するでしょう。それがピアサポートのとても重要な側面だと思います。

 

また世界観に深く耳を傾けると、違った見方に開かれるようになります。新しい視点を得ます。それは個人のリカバリーだけでなく、社会変革を示唆しています。そして、このような会話が起きていると、地域での会話が変わります。私たちはお互いを病気や障害を持つ人とか、専門的な援助がなければ生活できない人というふうな見方をせず、専門的なサービスに責任をゆだねるのではなく、地域で責任を担い合います。それはより広い意味合いを持ちます。地域でお互いに学ぶようにサポートするということです。その心づもりがあるとしたら、この世界は全く違ったものになるでしょう。

 

用意していた演習は、誰かと短い会話をしてもらうことです。完璧な精神保健システムを作ることについて、ただ話しをしてみてください。そのとき、エネルギーが感じられる会話であるようにし、つながりを意識してください。お互いに共通していることについて、違っていることについて、議論できることについて、精神保健システムの変革のためのアイデアについてなど、それらについて、どんなふうにお互いの話をきくことができるだろうかを意識しながら、会話をしてみてください。そして、この会話を通して、単に精神保健システムについてだけではなく、より良い社会を目指して、向かいはじめるエネルギーを感じてください。これが演習です。時間のある時に試してみていただければと思います。

 

今日、みなさんが来てくださったこと、難しい質問をしてくださり、熟慮してくださったことに、本当に感謝しています。昨年、久留米で研修をして学んだことですが、日本で学んでいる人たちのように、意味のある何かを生み出すことを実行し、新しいシステムを作りだすことに力を注いでいる人たちに出会うのは、アメリカでは、あまり経験できません。そこに立ち合わせていただけることを光栄に思っています。ありがとうございました。

シェリー・ミードIPS講演会 (2/3): IPSの三つの視座【文字起こし】

【以下の文章は、シェリー・ミード氏が2009年12月に東京の上智大学で行ったIPS講演の書き起こしに、若干の加筆修正をしたものです。この文章の元になった講演の動画は → こちらのページで視聴できます。】

 

ピアサポートは特別なことではありません。何かつらいことがあったときに、近所の人や友達のところに行くことがあります。そのとき、その人が自分の経験を通して、そのつらさをわかってくれたとしたら、私たちは自分の弱みを見せて、その状況や経験を話すことが出来ます。そのように、人のつらさを自分の経験を通してわかるために、困難な思いをしている人とその場に一緒に居ること、それがピアサポートです。誰でもそういう経験があるだろうと思います。

 

そうではあるのですが、インテンショナル・ピアサポートでは、あるインテンション(意図、意識していること、心がけ)があるということをお話したいと思います。先ほど、インテンショナル・ピアサポートのインテンションに関心があるという発言がありましたが、そこが大事なところなのです。私たちがしようとしていることに、ある目的というか、心がけている意図がなければ、ピアサポートは病気や困難な経験を共有することにとどまり、病気を中心にした役割や関係性にしばられてしまいがちです。

 

まずはじめに意図していることは、つながりをつくることです。心を開き、とても深遠な関わりの在り方をすることです。そのとき、今いるところから、一歩足を踏み出すことを意識しています。つながりと関係性を通して新たな可能性に開かれることです。お互いにチャレンジし、プッシュし、支えあい、認め合って、その結果、どちらもが学びの経験を得ることです。そうすることで、物事への新しい見方が生まれるでしょう。みなさんはどうかわかりませんが、私は長い間、自分は再起不能で、常に専門的な援助を必要とし、事態は好転しないと思っていました。可能性に開かれるような視点を持ち合わせていなかったからです。私をプッシュして、チャレンジしてくる人がいなかったからです。一緒に学ぶという意図を持つことで、何かを生み出す関係性を作ることが出来ます。

 

IPSの関係性と援助の関係性の違い

  • 助けではなく、学びに意識を向ける
  • 個人ではなく、関係性に焦点をあてる
  • 恐れではなく、希望を基にしている

 

IPSの関係性と援助の関係性との違いを明確にすることが大切だと考えています。そこには根本的な違いがあります。それを三つの視座の違いとしてお話したいと思います。まず、要点だけをいうと、第一に、IPSの関係性は助けに焦点をあてるのではなく、相互の学びに焦点をあてることです。助けることに焦点があたっていると、問題を中心としたストーリーに閉じ込められることになります。相互の学びに焦点をあてると、全く違った文脈が生まれます。

 

二つ目の違いは、IPSは個人ではなく関係性に目を向けることです。お互いに力を引き出すような関係性から生じるものに注目し、そのような関係性の特徴について考えます。

 

三つ目は、IPSでは恐れに導かれた対応や関係のあり方ではなく、希望に導かれた対応や関係性を実践することです。精神医療では、特にクライシス状況においては、恐れに基づいた対応、リスクを避けるための対応が中心になっているようです。これは致し方ないことだとは思います。人は恐れを感じると確かなものを求めるからです。ですが、恐れに基づいた反応をされ続けると、私たちは自分の感情すら恐れるようになります。激しい感情を持つことを怖がるようになります。それだけでも私たちを閉じ込めるのに十分な威力があります。なので、希望に導かれた関係を作りたいと考えました。リスクについて問い直し、可能性に開かれた関係です。リスクをとらないでいたら、そのことが問題となるような関係性です。

 

さらに話を進める前に、ここで確認しておきたいことがあります。助けることに焦点をあてないというとき、援助という概念を捨て去ろうというのではないということです。どちらにとっても有益であるように、助けを再定義できればと思うのです。助けることを親の仇にしているのではありません。助けと学びでは、目を向けているところが違うというだけのことです。

 

この三つの視座の違いについての理解を得るために、いくつか演習を用意しました。よかったら考えをお聞かせください。言いたいと思うことだけでかまいません。

 

助ける・助けられる関係について
(質問1)はじめの質問です。私たちの多くは援助を受けることを終身刑として言い渡された経験があります。「あなたは常に援助が必要なのです。」と言われると、どんな気持ちがするものですか?そう告げられたときのことを覚えている人はいますか?

 

今日、皆さんと一緒に考えてみたいことは、実際に双方のためになるような、新たな関わりの在り方についてです。一生、専門的な援助を受け続けなければならないという考えを人々に植えつけないようにすることです。

 

(質問2)次の質問です。自分は人の世話をする役割、助けの役割をしがちだという人はいますか?自然とそういう役割を取ってしまう、それが身についてしまっている人も多いと思います。自分が常に助ける役割であるとしたら、相手の人との関係はどうなると思いますか?

 

(会場からのコメントに対して)相手の人との関係に負担を感じて、恨みの気持ちをつのらせることは避けたいですね。そういう気持ちが出てきたことについて話をして、学びに焦点を移すことで、自由があり、新たな可能性が生まれる関係性をつくることが大事だと思います。

 

(質問3)自分にとって、とても良かった援助関係を思い出せる人はいますか?つらい経験をしているときに、誰かがサポートしてくれて、自分の足で立っていることができたというような関係です。どちらもが関係に責任を持っていたというような援助関係を経験した人はいますか?

 

(会場からのコメントに対して)ずっと助けを受ける側にいると、何かお返しをしたいと思うものです。ここで注意を呼びかけたいことは、それが極端になってしまいがちなことです。長い長い間、援助を受ける側にいた人が、誰かを助ける側にまわったとき、それがとてもうれしくて、相互の関係ではなく、一方的な助けの役割に陥ってしまうことがよくあります。

 

援助関係について

  • 援助は、そこに解決すべき問題があることを前提にしている。
  • 援助は、援助を受ける人に対して、こちらが何がしかの専門性を持っていると伝えることになり、力関係の不均衡が生じるかもしれない。

 

助けは、そこに解決すべき問題があることを前提にしています。こんな経験がありました。当事者が運営するクライシス民間対応・代替プログラムをしていたときのことです。そのプログラムは現在も存続しています。そこでは当事者のスタッフが、そこを利用する人のサポートをするのですが、困難を経験している人がそれを乗り越えるのをサポートしたスタッフは、自分がとても良い働きをしたと感じます。誰かの助けになったということで、いい気持ちがします。ですがその後、交代したスタッフは、相談を受ける問題がないと、自分は何も仕事をしていないような気がします。誰かの助けになることが仕事上の役割になっていると、何も問題がないとき、問題を探し始める傾向があります。

 

IPSでいう学びとは?

  • 学びは技術の習得のような類の学習とは異なる。
  • 相互の学びは、すでにある知識の交換だけを意味しているのではない。
  • IPSは、“ひらめき”あるいは学びの瞬間を作り出すことに関心がある。

– お互いにとって、より深い理解と視野の広がりをもたらし、それぞれがより複雑になり、自分についての振り返りが深まること。

ここで学びが意味することについて、明らかにしておきたいことがあります。一緒に学ぶ、相互的な成長と学びを生み出すことは、何かの技術を身につけるというような類の学びをさすのではありません。何か共通したものを持つ人と、密度の濃い、興味深い会話をしているときに起こる、すばらしい感覚が学びです。何か新しい考えを思いつく、アイデアが生まれる、ひらめきを得るというようなことです。ひらめきが生まれた瞬間には、何かが生じているのだと思います。そこに何かがあるはずです。ひらめきの頻度と、そこで生み出されたものを測ることができたら面白いでしょう。

 

学びの関係、つまり、ひらめきの瞬間を生み出すような関係性について考えてみましょう。私の話を紹介します。それから、みなさんのストーリーをお聞きしたいと思います。

 

以前、私は入退院を繰り返していた時期がありました。そうした入院中に子どもたちの養育権を失うことがありました。それは、とても辛いことで、私をもっともおびえさせた出来事の一つでした。私は同じ病院に何度か入院していて、スタッフや病院にいる人たちと顔なじみになっていました。そのとき、感謝祭のときだったのですが、子どもたちの養育権を奪われたと聞かされました。それでとても動揺し、ドアをたたき、病院から出ようとしました。そこに、親しくしていた看護師がやってきて、私の首根っこをつかんで、「シェリー、どうするつもりなの?あなたは慢性精神病患者になるの?それとも、ソーシャルワーカーになるの?」と言いました。その時私はソーシャルワークの学校に通っていたのです。このときまで私は、自分に選択があるとは知りませんでした。それが私にとって学びが生まれた瞬間でした。彼女はリスクをとったのです。私を信じていて、可能性が見えていたから、リスクをとったのです。彼女が私に、それまで存在していなかった新しい世界、新しいストーリーを開いてくれました。

 

(質問4)これまでに、みなさんが経験した学びの関係はどのようなものだったのか、思いだしてみてください。成長している感覚、わくわくする感じ、新しい人生や可能性が開かれる感覚、お互いに活力が感じられるような、そういう関係です。少し考えてみて、よかったら紙に書いてください。あとでそれをお聞かせいただければと思います。

 

(参加者からのコメントに応えて)学びの関係ができるのは、多くを共有している人に限られたことではありません。そのとき、そこに居てくれる人との間で、学びの関係をつくることができます。

 

個人にではなく関係性に焦点をあてること

個人に焦点をあてると

  • 相手の変化のみを求める
  • 何が望ましい結果なのかが、あらかじめ定められている
  • 自分の学びについては見落としている
  • 関係性の力動は視野に入らない

関係性に焦点 をあてると

  • どちらもが相互の学びに貢献する
  • 偽りのないオープンなコミュニケーションの仕方を学ぶ
  • IPSの関係性が他の関係に波及する

IPSと援助関係における視座の違いの二つ目は、IPSでは、個人にではなく、関係性に焦点をあてていることです。これにはいろいろな意味が含まれています。個人に焦点があたっている場合、どちらか一方だけが、変わることを求められ、片方の成長のみを期待するという間違いをしがちです。そして成長を促す関係性の力動に意識を向けることを忘れています。個人を変えようとするのではなく、関係性に焦点をあてることで、個人の変化も起こるものでしょう。

 

また、個人に焦点があたっていると、あらかじめ定められた結果があって、それを得るための助けを提供するということになりがちです。援助をする側が、自分たちが助けになっていることを確認できるように、求めている結果をあらかじめ定めておきます。関係性に焦点を移すと、ピアや同僚と会話を始めるとき、その会話から何が生まれるのか、予測することはできません。けれど希望があります。その希望から可能性が生まれます。

 

個人ではなく関係性に焦点が当たっていると、関係におけるパワーの均衡について考えはじめます。先ほど、助ける役割に陥っていると負担に感じるという発言がありましたが、それが大事な気づきだと思います。お互いの間で何が起きているのかに注意を向けていると、お互いがその関係に何をもたらしているのかを意識しはじめ、どちらもが関係にエネルギーを注ぎこむ必要性が見てきます。パワーの均衡に意識を向けます。そして、関係に行き詰まりを感じたとしたら、何か手を打つでしょう。他人を変えようとするのではなく、関係性について問うのです。

 

関係性に意識を向け、どのような関係性であると、うまくいくのかに目を向けると、雪だるま式に、一つのうまくいった関係、つまり相互的な関係が、別の関係に影響を与えます。自信がもて、相互的な関係はどういうもので、どうすると相互的な関係になるのかについて、つかめてくるからです。相互の学びを生み出す関係性が、他の人間関係にどのような影響を及ぼすかを測るような研究があれば面白いと思います。

 

恐れではなく、希望を基にしている

恐れ 予測ができないこと=コントロールを失う恐れ

  • いつもどおりであること、予測ができることが保障されるように努める
  • コントロール、支配、さらなる力(パワー)を必要とする

希望 予測ができないこと=可能性

  • 新たな可能性に心を開いている
  • 居心地の悪さと共にいるつもりがある
  • 相互の関係の過程に信頼をおく

IPSの視座の三つ目の特徴は、恐れではなく、希望に導かれた関係性であることです。恐れを基盤にした関係はリスクと責任問題を取り扱うことに終始しがちです。精神医療サービスの多くは恐れを基に動いています。人々を守ること、社会を守ることです。予測可能な結果を使って、何が良い実践であるか定義します。誰かがコントロールを失っていると感じると、私たちは恐れを抱き、状況をコントロールしようとする傾向があります。

 

希望を基盤にした関係性であるには、あらかじめ決められた結果を求めるのではなく、予測のできなさを受け入れることが求められます。そして、ある程度の居心地の悪さと一緒に居ることです。恐れを感じたとき、コントロールしたいと思うのは、自分が居心地悪く感じるからでしょう。居心地の悪さを我慢できること、自分の不安と一緒に居られること、コントロールしようとするのではなく、ただ、一緒に居ることが、希望を基盤にした関係性では必要とされます。

 

次は、これらの考え方の実践についてお話します。実際にこれらをどうやって、教え、学ぶかということです。

シェリー・ミードIPS講演会 (1/3): イントロダクション【文字起こし】

【以下の文章は、シェリー・ミード氏が2009年12月に東京の上智大学で行ったIPS講演の書き起こしに、若干の加筆修正をしたものです。この文章の元になった講演の動画は → こちらのページで視聴できます。】

 

話を始める前にまず、責任放棄宣言をしておきます。(パーキンソン病のために飲んでいる)薬の影響で、頭が上下に動いて、うなずいているように見えるのですが、必ずしも、みなさんがおっしゃっていることに同意しているわけではありません。

 

私が精神保健の領域でピアサポートを始めた理由の一つは、自分が最も大変な時期を過ごしているときに、ピアサポートのようなものが何もなかったからです。そのため、私は、援助職関係者に囲まれたコミュニティで生きるようになり、そこでは、私のことを治したり、助けようとする人との関係ばかりだと感じていました。そうして、通常の社会の一員として、人と関わる力を失ってしまいました。私は、家庭内の暴力の被害を受けた女性たちのサポートグループに関わっていた経験があるのですが、そこではみんながお互いをサポートし合い、ピア主体の運動になっていました。でも、精神保健の領域では、そういうものがありませんでした。あるとしても、人が集まって、自分たちの生活上の困難や病気のことばかりを話している、というものでした。

 

そんなとき、たまたま、私の住んでいるニューハンプシャー州で、既存の精神保健サービスから切り離された、ピアサポート独自のプログラムに予算がつけらることになりました。それは、何でも好きなことをやってよいというもので、制度の制約を受けることなく、何をしたいかはすべて自分たちで決めることが出来ました。とても幸運なことだったと思います。

 

精神保健サービスを利用していた人たちは、地域では、頼りに出来る友達がいなかったので、ピアサポート・プログラムの場が、専門職との援助関係とは異なる関係の在り方を試してみる場になりました。私たちの多くは、相互的な関係の仕方を忘れてしまっていたからです。

 

こんなエピソードがありました。ピアサポート・プログラムに来ていた人たちの多くは、精神保健サービスの環境に長い間、置かれていた人たちでした。ですから、援助される関係しか知りませんでした。プログラムが始まって、はじめての感謝祭の祭日がきました。感謝祭は、家族や友人が集まって、ご馳走を食べる習慣になっている祭日です。それで、感謝祭の食事会をすることに決めました。ですが、どんな料理を用意しようかという話になったとき、準備はすべて私に任せて、自分たちはただ食べに来たらよいのだと思い込んでいることがわかりました。病院では、いつも、そうだったからです。助けを受ける立場の文化に浸りきっていたのです。

 

私はピアサポートで自分が人の世話をするプログラムをやりたいとは思っていませんでした。私たちは同じ立場なので、それはおかしいと思いました。それで、誰もが何か作るか、何かを持ってくることにしました。精神保健サービスの環境に長くいた人たちは、料理を作るとか、食事会の計画を立てるということを考えたことがなく、私に決めてほしいと思っていました。でも、誰もが食事会に貢献しようと決め、昔、料理人だった人が主に調理を担当し、他の人は何かを持って集まりました。そして、みんなで食事会のテーブルにつきました。それは最も感動的でエネルギーに満ちた食事会になりました。みんなが自分のベストを持ち寄って、その場に貢献したからです。この感謝祭の集まりが、どんなふうなピアサポートをしたいかを示す喩えになりました。

 

このエピソードがよい喩えだと思うのは、各自のベストな面が引き出されて、何かより大きなものを作り出すことに貢献していたことを示しているからです。自分の周りにいる誰もが、自分を助ける立場の人だという、それまでの関係性とは、はっきりとした違いを示しています。誰もがピアサポートを通して学ぶことが期待され、誰もがピアサポートに貢献している。それがテーマになりました。

 

そのテーマを基にして、ピアサポートを教えるプログラムを作ること出来ました。また、クライシスのときに、入院とは違った関わりの在り方をするプログラムも始めました。それは、もっとも調子の悪い時でも、ただ面倒をみてもらうのではなく、そこに来て、そのコミュニティに支えられ、自分の人生やリカバリーの主体的な参加者であり続けることができる場です。