【この文章の元になった講演の動画は → こちらのページで視聴できます。本文はワークショップの文字おこしの翻訳に若干の修正を加えたものです。】
ワークショップ2日目
実際にこれをどのようにして行うかということについて、より明確にしたいと思います。昨日、お話したことは、いろいろな意味で理想を語っています。もし世の中がこんなふうだったら、人々がこんなふうにコミュニケーションができたら、ずっと住みやすい世界になるのにというふうな。なかなかそうはならないのは、私たちがコミュニケーションの仕方を、これをどう実践するのかを知らないからです。(訳注:ここまでの語りはビデオには含まれていません。)
ピアサポート・プログラムの理念として、いかにすばらしい文言が掲げられていたとしても、自分の知っているやり方を繰り返し、サービス提供者のような関係性に陥りがちです。これから私がしていることをお話ししますが、まず、皆さんは現在、自分のところで、実際にピアサポートの実践が行われるようにするために、どのようなことをしていますか?ピアサポートの関わり方をどんなふうに教えていて、ピアサポートの価値基準を維持するために、どのような手立てを用いていますか?あるいは何もしていないですか?
実際のやりとりの一言一言思い出して、それをグループに持ち寄って、「私がこうした時、これはピアサポートだったろうか?」という話をします。ピアサポートになっていたかどうかを見極める力をつけます。例えば、私がピアスペシャリストだったとして、例えばピア・ブリッジ(精神病院から退院してくる人とピアサポートをするプログラム)で働くピアということにしましょう。そこで私が相手の人に「薬は飲むべきですよ」と言ったとしたら、それはピアサポートの発言でしょうか?ピアサポートの関わり方でしょうか?全く違います。ピアサポートになっているかどうか、微妙なところも見極められるようになりたいと思います。これは良い・悪いということではありません。だた、自分に気がつくようになることです。ピアサポートの価値基準は何であるか、ピアサポートを維持するために何が必要かを理解するだけでなく、それをどうやって教え、維持し、評価し、監督(スーパービジョン)するかについても明らかにしておくことが大切です。監督するという言葉を使っていることを非難されることがあります。これは悪い言葉らしいです。それはみなさんがひどい上司をもったからでしょう。私が受けた監督の経験はいつもすばらしいものでした。
これからお話しすることは、このような会話が文化となることをどのようにサポートできるかについてです。それから評価について、私の取り組みを少しお話します。このような文化をどのように維持するかについてです。自分たちのやり取りの例をあげ、あなたのピアセンターでの関心事をお聞かせください。質問をしてください。これを実践的なものにして、これらのやり方を持ち帰って、自分たちのものにすることができればと思っています。
違った聴き方(1)
- ”知らない”という立場から聴く。
- ”語られていないストーリー”に注意を払う。
- 意味を探索する問いかけをする。
- それはどういう意味なのか教えてもらえますか?
- それは~ということなのでしょうか。
- そう思うようになったのはどうしてなのでしょう?
- どういうわけで、xxがそんなにxx(例:きつい、恐ろしい)なのでしょう?
昨日、違った聴き方について、少しお話しました。これはとても大事なところだと思います。積極的な傾聴については誰もが教えています。前かがみになる、注意を払う、余計なことを考えない、身振りを意識するなど、これはどれもよいのですが、悪いことはないのですが、これだけでは十分ではないと思っています。なぜなら、昨日ジャッキーが言っていた個人の文化、私が昨日一日中話していたこと、つまり、より大きなストーリーを開くためには、これだけでは十分ではないからです。相手の人が今この話をしている、そこにいたるまでに起きていた全ての事柄に耳を傾けるということです。
昨日も言いましたが、照らし合わせる観点から、話を聴き始めたくなります。例えば、「私も入院したことがあるから、あなたがどんな経験をしてきたか正確に理解できます。」と言ったとしたら、それはありえないことです。なのですが、そこは紙一重の違いです。あなたが同じような経験を持っていると、相手の人は聴いてもらえていて、受け止めてもらえたと感じることに仕掛けがあります。 例えば、ピアサポートに初めてきた人に、自分のストーリーを少し話しただけで、その人の顔がぱっと明るくなったという経験がありませんでしたか?
経験から聴くこと、自分の経験に響かせてわかること、つながりをつくることで違った会話への扉を開きます。そして、一歩引いて、『知らないという立場』から聴きます。それはどんな類のことに耳を傾けるということでしょうか?
参加者の発言:分析、評価などをしないで聴く。
参加者の発言:自分の判断で言っているのか、人から言われたことを、そのまま信じて言っているのかを考えながら聴く。
シェリー:その人は、どのようにして、そういうストーリーを語るようになったのか。そこにいたるまでに何があったのかを聴くということ。
シェリー:聴くということには見ること、聴くこと、それを解釈することも含まれます。普段使っていない意識の向け方をする集中した会話です。そういう聴き方にはどのようなことが含まれているでしょうか?
身振りや気持ちを聴くことも含まれます。例えば、もし誰かが、「そうだね、私はいつもたいてい幸せだったし、この病院は、とってもいいところだよ。」と言ったとしたら(沈んだ声や表情で)、あなたはそこからどのようなことを聴き取りますか?
(合致していない)合致していない。そうしたら、「この病院はいいところだと言っていながら、あなたは沈み込んでいるように見えたのですけれど、どういうことなのかなと思って・・・」そこから違った会話が展開するでしょう。言葉だけを聴いているのではありません。
違った質問をすることについて。
意味を探索する問いかけをすることが大事だと思っています。自分の経験をどのように語るのか、経験をどんなふうに理解しているのかについて、人々がそれを考えなおす手助けをする義務が、私たちにはあると考えています。例えば、誰かがあなたのところに来て自己紹介をするとき、「シェリーです、私は双極性障害です。」と言ったとしたら、あなただったら何と言いますか?どう応えますか?
参加者: 「私は人間です。」と言う。でも、そうすると混乱した顔になる。
シェリー: その人は精神保健の文化に慣れているので、混乱するのでしょうね。
参加者: 地球にようこそ。
参加者: 双極性障害って、どういう意味ですか?
シェリー: まさしく。双極性障害って、どういう意味ですか?あなたにとって、それはどういうふうな経験なのか、教えてもらえますか?
そうすると、こういう答えが返ってくるかもしれません。「あなたは私たちの仲間だと思っていたのに。」「私の経験をわかってくれると思ったのに。」そうしたら、何と言いますか?
(経験はそれぞれ違うから)
まさしく。「その経験があなたにとってどんな意味なのか、理解したいと思うのです。」
「その言葉がどんなことを意味するのか教えてほしい。」というふうに質問をすることは、「その言葉の意味することは、なんとなくわかります。でもそれがあなたにとって意味することを理解したいのです。」と、敬意を持って聞くことになると思います。押し付けがましい聞き方ではなくて。ピアの間でも、こちらの見方を押し付けるような会話に陥ることがあります。ピアプログラムで繰り返し耳にするのは、「シェリーです。双極性障害です。」に対して、「ここではそういう言葉遣いはしていません。」と応えていることです。それは即座に人を黙らせるでしょう。それは敬意を表していません。妥当なことだとも思えません。
参加者: 初めて診断名を聞いたとき、ほっとする人が多いようです。自分の経験していることは得体の知れないことでなく、名前がついていたのだとわかって。その段階にいる人に対しては、それを受け止めることが大事だと思う。それから、どうやって、次の段階に向かわせるか、じゃないでしょうか。
シェリー: ピアの先輩が、その人を次の段階に導く手助けができるということですね。そのことについてですが、
私たちがすべきことは、もし実際に相互的な関係性であろうとするならば、ただ単に、「最初に診断名を聞いたとき、それは私にとっても助けになりました。ただ、(病気として)自分に起きることだという見方は、今では私には役に立たなくなりました。」と言うことです。「あなたは今はそう思うだろうけど、そこから抜け出すことのお手伝いをしますよ。」と言うのではなくて。この二つの語りの違いが見えますか?それが相互性で、一つ目の語りをすると、相手の人はあなたのストーリーに応じて、「それはどういうこと?」と聞くかもしれません。そうしたら、専門家ー患者といった関係性とは、かなり違った会話が始まります。
違った聴き方(2)
- 受け止める(問題解決に走るのではなく)
- 役に耳を向けて聴く
- 素の自分であること
- 現実について交渉する
- 偽りのない、率直で、敬意を示したコミュニケーション
- ”犠牲者から人”へのストーリーを共有する。
ここに『受け止めること』と書きました。みなさんはすでにこれについてはよくわかっていると思います。ですが、私が研修をしていて、とても頻繁に耳にするのは、受け止めることをしていない会話です。誰かが助けを求めにやってきて、「生活はぐちゃぐちゃで、私は完全に打ちのめされていて、年金も使いこんでしまったし、どうしたらいいかわからない。」と言う人に対して、あなたはどんな対応をしがちですか?ありがちなのはどんな応え方ですか?私がよく聞くのは、「じゃあ、何とかしましょうよ。どうしたらよいと思いますか?」これは、全く、その人のことを聴いていません。あなたが大ヒーロー、問題の解決者になりたいからです。私たちのしたいことは、問題の解決だけではないという点を強調する必要があります。最終的に、誰かが自分の望むことに向かい始めたら、それはすばらしいことですが、問題解決の立場から始まると、関係はどのようになってしまうでしょうか?
(サービス提供者)
そうですね、それで、必ずしも依存ではないかもしれないけれど、私の問題を私と一緒に解決してくれるのが、あなたの役割だという思い込みが出来るでしょう。なので、まず「今、大変みたいですね。」と言います。他にどんなことを言うでしょうか?
(「状況をよくするために、どうしたらいいと思いますか?」)
なるほど、それで、次に問題解決に進むのですね。そこのところを指摘しておこうかなと思って。
「大変でしょうね。」「力尽きるような感じでしょうね。」「疲れ果てるね。」もしくは「怖い気持ちがしているでしょう。」など。言葉で表現されてはいない何かを聴き取ったら、それを伝えます。そうすると、相手の人は「そうですね、もうただ、疲れてしまって。」と言うかもしれません。それで、そこから話が展開します。「疲れているとき、どんな気持ちになるのですか? 疲れているのは私にとっては怖いことの一つです。身を置いていたい場所ではありません。」それで、あなたは私のことを少しわかります。昨日、私が疲れていたときの様子をみなさんも目にしましたよね。
相手の人の気持ち、経験を受け止めることを忘れないようにしましょう。人々はいろいろな経験をしてきています。もし私たちが即座に問題解決に走ったとしたら、ピアの関係を問題解決の関係として意味づけることになります。みなさんはもうご存知だと思います。あなたのところで、問題解決をしている人がいたら、ここに立ち返って、修理することに飛びつくと、関係や会話がどんな展開になるかを聞いてみてください。そうして、人々の関わりの中で自分たちがしていることを意識化できるように働きかけてください。みなさんは、リーダーシップを取る立場で、ピアスタッフを教えることが出来ると思うからです。
役に耳を向けて聴くことが出来ると思います。この表現が適切かどうかわかりませんが。例えば、もし誰かがあなたのところに来て、「大量服薬しようと思っている。」と言ったとしたら、それはどのような役柄からの発言でしょうか?違う例にしましょう。「私は仕事なんて無理です。私は病気が重いから。私はあなたとは違うのです。」これはどんな役柄からの発言ですか?どんな役に閉じ込められてますか?
ある種の犠牲者の役ですね。人々が陥いっている役柄に気がついているようにしたいです。精神病患者の役割は繰り返し登場します。とくに強力な役です。それは学習したプロセスです。このような会話をするように学んできたのです。どの会話もこうして始まるので。だとすると、そのような発言に対して、まず、その人の言っていることを受け止めて、それから「私も以前はそう思っていて、自分には何も出来ないと思っていたときがありました。それから、xxx」というような、あなたのストーリーを話すことが出来るでしょう。
あなたには理解できないところに、誰かがいるとき、あなたはどうなりますか?誰かといて、とても居心地が悪かった経験がありますか?
以前私が運営していたプログラムに来ていた友達ですが、数週間に一度くらい、息せき切って、ものすごい早口で、私には単語さえも理解できない、私には外国語のように聞こえる言葉を使い、文がつながらない話をすることがありました。それで私は彼がそんなふうな時、「あなたとこの場に一緒に居ることはできます。あなたが言っていることを完全に理解することはできないけれど、xx分間だったら、人間ができうる限りを尽くして、ここに居ることはできます。」と伝えました。彼の話はとても大きくて、20分以上は聴いていることができなかったので、それを彼と合意しました。私は確かに、彼の痛みを感じることができたし、比ゆが聴き取れたし、彼の感じている絶望がわかりました。そして、関係性の責任を引き受けて、彼と交渉しました。
それは現実ではないと伝えるのか、それともその話に同意するのかということが問題なのではなく、どのようにこころを通わせ、つながりを保つのか、それが本当に大切なところです。グループでも同じことです。「その話を5分間は聴くことが出来ます。でもグループの時間でもあるので。あなたはどんなことが言いたのでしょうか。それを言ってみてください。」と伝えることができるでしょう。それからグループの文化としてつながりを作るようにし、また、相互性も保つようにします。
正直であることは特に難しいあり方です。特に、「正直なところ・・・」というのが気まずいときには。お互いに、腫れ物に触るようにすることがありますか?
(誰かが、クライシスのようなときは、特に難しいです。正直に言うと、その人が傷ついて、クライシスがひどくなるのではないかと思うから。)
クライシス状況のことについて話したいことがあります。クライシスを前提として、その言葉で話している限り、(病気が悪くなる)段階に焦点をあてている限り、これはメアリーエレンとも話をすることですが、そうすると、サービスの関係に陥る危険があります。なので、率直な、偽りのない、敬意を示したコミュニケーション、つまり、誰かに「あなたはxxすべきです。」というのではなく、「自分にはxxに見ていて、これが私の感じていることで、これが私の必要としていることです。」と伝えます。くりかえしになりますが、やり取りをすること、正直に、見たこと、感じたこと、必要としていることを伝えることです。いろいろなやり方があります。クライシスかクライシスでないか、という考え方から抜け出すべきだと思います。誰でも激しさの流れに出たり入ったりしているのだと思います。たぶんみなさんも、昨日、私がそうしているのを目にしたかもしれません。それをクライシスと呼んでいる限り、その時期その人は壊れやすいと思い、それが施設化される可能性があります。レスパイト・プログラムに滞在する、クライシスの時期に入るというように。これは私たちの側の思い込みです。
(”犠牲者から人になった”ストーリーを話すということについて、もう少し説明してもらえますか?)
ピア・スペシャリストの役割になると、人々が指示をし始めることを目にしてきました。それで、誰かが行き詰まっていると、よく、こう言っていることに気がつきました。「WRAPをしたらいいのに。こうすれば、ああすれば。」そうして、すぐに指示的になって、上下関係になります。誰かが、自分もかつてそれを経験したことのある役に陥っていると思ったときは、こういう話をするチャンスです。「入院していたとき、私はこれこれから出られなくなっていて、そのためにこんなふうだった。でも、こんなふうにし初めて、それをするのはとても大変だったけど、それで今はこうなっている。」これは挑戦というか、ストーリーを競い合わせるというのではありません。道徳的なストーリーを語るのでもありません。つながりをつくることができるところです。「あなたの話は、私にはこんなふうに聞こえました。あなたの話を聞いていて、私にも、それに通じる経験があったことを思い出しました。それは、これこれこういうことで、あなたもそんな感じでですか?」というような会話が出来るでしょう。そして、相手の人が、これまで存在するとは知らなかった可能性を示すことです。例えば、診断名の話に戻ると、もし私たちが「私は双極性障害です。」と言う人に、これはもっと長い会話なわけですが、「私にとって、そのラベルがとても大切だったときがありました、それで・・・。」というような会話をします。その会話で、その人がこれまで知らなかった知識の可能性が開かれます。「診断名で語るのは古い考え方だ」というような指示的な言い方ではなくて。
望むことに向かう
- あなたは何を望んでいますか?
- 今、あなたが信じていることは、望んでいることの支えになりますか?
- 望むことを手に入れるためには、どのようなことを信じる必要があると思いますか?
- どんなふうな感じでいたいですか?
- そういう感じになれたら、どんなことが出来ると思いますか?
これは昨日もお話しましたが、望むことについて誰かと一緒に取り組んでいるときとても役に立つ問いかけです。多くの人は、いやなことから遠ざかろうとするということにいて昨日、お話しました。それが精神保健の文化です。問題に意識が向けられていること。なので、望んでいることに向かう助けとなる会話をするのはたやすくはありません。私はこの問いかけが好きです。誰かにこう聞かれたことがある人はいますか?うつ、不安の項目の質問をされているとき、「どんなふうな感じでいたいの?」と誰かから聞かれたことがありますか?「そんな感じになれたとしたら、どんなことが出来ると思う?」これは会話を変えます。診断評価されるときは、「気分はどうですか?抑うつですか?自殺を考えていますか?薬は飲んでいますか?」と聞かれて、地面に沈んでいくような感じがするでしょ。
(トラウマの経験を聴けないときがあります。自分のトラウマの経験がよみがえってくるので。トラウマのストーリーを聴くことを扱えるように、誰かの助けを受けることが必要だと思う。)
あなたに同意するし、気がかりなこともあります。どうしてかというと、私も、とても生生しい経験を語る人のことをどうしても聴けないときがあります。身につまされすぎるから。そういうときは、「今日、今はその話が聴けません。明日はたぶん、聴けると思う。」と伝えます。一方で心配しているのは、「あなたが私の引き金になっている。」ということをよく耳にすることです。それはとても危険で、私はそれがとても気がかりです。人々がようやく、トラウマの経験を語り始めたら、私たち自身がその人たちを責め始めるということが、頻繁に起きています。「あなたが私の引き金になっている。」「あなたが私のトラウマになっている。」と。”身代わりの(二次的な)トラウマ”という考えについて、とても慎重になるべきだと思います。しっかりと意識していなければ、人々を責めることに逆戻りしてしまいます。
相互性:助けについて再定義する
- どちらの人のニーズも心に留めておく。
- お互いの”専門性”を尊重する。
- どちらにとってもの学びに対する期待を持ち続ける。
問題に焦点をあてた会話から遠ざかること、ギアを入れ替えて、お互いが学ぶことを常に期待しているとしたら、会話の意図が変わります。昨日もお話しましたが。わかりますか?
これについて質問のある方、いらっしゃいますか?なければ、評価と監督(スーパービジョン)の話に移りたいと思います。
ピアサポートの価値基準
- ”医学的”な枠組みを用いない
- 対処や現状維持ではなく進化
- 問題に焦点をあてるのではない見方
- 素のコミュニケーション
- 本当のコミュニティを作る
- パワーの共有・責任の共有
- 助けは双方向に行き来する
”ピアサポートの独自性は何か”に関す論文で取り組んでいる価値基準のいくつかをここに挙げました。私たちが同意できる価値基準があれば、ピアサポートに独自性をもたせ、他から際立ったものにすることができます。そのために極めて本質的な事柄を明らかにします。そうすれば、その価値基準が実践されているかどうかに気づき、それが実践されているとしたら、どのような形で現れ、どのように聞こえ、どの様な感じがするのかがわかってくるでしょう。したければ、それを測ることも出来るでしょう。そうすることで、プログラムや、グループの言動において、関わりの在り方が価値基準に基づいているか、それとも、そこから離れているかに気がつくことが出来ます。それが知識を蓄積するための唯一の方法だと思います。
これらをみていきましょう。例えば、誰かが医学的な枠組みを持ち込んでいるかどうか、わかるでしょうか?これは簡単ですね。これをピアサポートの本質的な基準にすることに同意しますか?こういうことを、皆さんのところでも話題にすることができるでしょう。私の言葉通りに受け取らないでください。これらは私がでっち上げたものだから。
(どういう意味かよくわからないけど)
分析的な視点をもちこまないで聴くこと。医学的なレンズ、枠組みを通さないで聴くこと。それに基づいた決め付けをしないこと。
進化に焦点をあてる。これは、個人的な結果、個人的な成長に焦点をあてるのではなく、関係性、システムの成長、コミュニティの成長、社会変革に焦点をあてるという意味です。
私たちがすべきことは、人をどうこうすることではありません。口にしていることを実行します。好奇心にあふれ、興味深い会話に引き込み続け、口にしていることを実行する。そうしたら、それが文化になっていくでしょう。ですが、私たちの動機が誰かを変えることだとしたら、サービス提供の関係性になってしまいます。
素の人としてのコミュニケーション。これはどういう意味でしょうか?これらは私の言葉なので、もし、あなたにとって何がしかの意味を成さなければ、意味がありません。
参加者の発言:ここに来る数日前にあったことですが、怖そうな感じの男の人が怒り出して、そこに20人くらい人がいたのですが、みんな何事もないかのように振舞っていました。それで、私が、その人をなだめに行きました。昨日のワークショップの話を聴いていて、もし、私が素の自分として振舞うとしたら、どうしただろうかを考えてみました。グループのみんなと話したと思います。みんなはどうなのかを聞いたと思います。というのも、その人は、あるルールについて怒っていたので。こういうことは実際に起きていて、とても典型的です。私の考えがシフトしたことに気づきました。
そのストーリーを書いて、私に送ってもらえますか?そういうストーリーが、私たちの違いを示す根拠になります。すばらしいストーリーです。「私はこういう研修を受けて、この出来事を考え直した。この出来事はこんなふうになった。」あなたの話してくださったような状況は、とてもよくあることです。何年か前ですが、NY州で資金カットになりそうなプログラムの評価に行ったのですが、そのプログラムは理念上も実践でも、人々を落ちつかせることがゴールになっていました。落ち着いていなければ、そのプログラムに来ることが許されていませんでした。ここでお話してきたような取り組みはシフトを起こします。対話をシフトさせ、会話の全体をシフトさせています。これはそのシフトを示す、すばらしいストーリーだと思いました。これが変化することを示す根拠です。ごめんなさい、盛り上がってしまって。
本当のコミュニティを作るとはどういう意味でしょう?
(参加者の発言:ピアが自分自身で居られるコミュニティを作る。)
私にはこれはもろ刃の剣です。なぜかというと、まず第一に、ありのままの自分で居られると感じられ、関係性を探り、新しい関係性をつくり、つながりをつくる。そういうことのできるコミュニティを作ることは、すばらしいことだと思います。私たちは誰でも、信頼と受け入れられている感覚を持つことが、まずはじめに必要です。しかし、ピアセンターがまた別の施設になりつつあることを懸念しています。それが心配です。「あなたは何をしているのですか?」「一日中、ピアセンターにいます。」そこがあなたにとって生涯のコミュニティになります。実際のところ、プログラム評価では、それを成功とみなしています。利用者数が増えること、もしくは維持していることが成功の評価基準になっています。もし私たちが成功しているとしたら、数が変化するか、望ましいのは減っていくことでしょう。5年、10年、20年、50年後には、ピアセンターがなくなっていて、より健康なコミュニティになっているべきです。私たちは思慮深くなる必要があります。サービスを提供することが目的ではありません。サービスを提供するのが役割ではありません。それがどういうことなのかに、みなさんは日々悩んでいるのだと思います。でも、別の施設を作り出すことはしたくありません。
監督(スーパービジョン)・評価のモデルを使うこと
- プログラムの価値に照らし合わせて、誰もが、関係のやり取りについて振り返りをする。
- その情報を使って、何が”望ましい結果”であるか明らかにする。
- 監督・評価によって、プログラムが定めた結果にもとづいた研究を確立する。
さて、この特別な形の監督(スーパービジョン)あるいは評価では、まず核になる価値基準からはじめます。私がここでしたように、何があなたがたの価値基準なのかを決めます。望ましいのは、それがどういう意味なのかについて、いくらかの同意を得られていることです。そうして、みんなが集まり、自分たちのやり取りについて、価値基準に照らし合わせて、振り返り批評をします。例えば、この週に取り上げた価値基準が『医学的な枠組みを使わないこと』だったとしたら、医学的な枠組みを持ち込まなかったやり取りについて考え、それを描写します。また、持ち込んでしまっていたやり取りについても描写します。どちらも描くのは、正解・不正解という話に陥りたくないからです。誰々は出来ていて、誰々はだめだ、というふうにはしたくありません。気づきを高めるようにしたいだけです。ある価値基準に照らして、自分で振り返ることです。私たちはお互いに優劣をつけるのではありません。実践したいと信じていることを、どのように実践しているかを確かめ合うのです。価値基準と行動が実際にどのように見え、どのように聞こえるのかを、耳にし、目にし、それを知ることです。それがわかれば、その知識を使って、”望ましい結果”を明らかにすることができます。それは進化しているべきで、今日の望ましい結果は、あしたの望ましい結果とは違うはずです。
この引用を読み上げます。これは私のお気に入りの語りです。
Cheryl MacNeilと私はこの3年間、メイン州の研究プロジェクトに取り組んでいます。これが私のいわんとする根拠です。私のクライシス研修に参加した女性とCheryl のインタビューからの抜粋です。
エリザベス:はじめは居心地が悪かったです。このプログラムに来て、この研修に出ていて、私に起きたことは事実なわけだけど、でも「それで、ここからどこに行きたいの?」というふうにギアをシフトさせて、その先に向かうことをし始めました。それは本当に新鮮な感覚で、とても居心地が悪い。たぶん、幼児が歩き始めるときみたいじゃないでしょうか。不安定な感じ。崩れ落ちるというような、心理士がいう”不安定”という意味じゃなくて、ちょっと、ふらふらしているみたいな。新しい地平だから。
シェリル:どんなところが新しいのですか?
エリザベス:私は犠牲者であることに居心地良くなっていたのです。親しみがあったというか。それが突然、それを乗り越えるように誰かにチャレンジされたみたい。
シェリル:犠牲者の役から抜け出しているのですか?
エリザベス:そのとおり。もう犠牲者ではいたくないです。それはいやです。もう十分、打ちのめされてきました。前に進みたい。そこから抜け出して前にすすみ、敬意を示される人になる。この言葉、”敬意”、これまで敬意を示されていると感じたことがなかった。もし、敬意を示されていたとしたら、その人は誰かを傷つけたりするでしょうか。だから、敬意を示される人でありたい。
シェリル:犠牲者でありたいというのは全く違うのですね。
エリザベス:そうです。私は援助システムの犠牲者になっていた。「先生、お世話になります。先生の指示に従います。先生が処方した量の薬を飲みます。」そうやって、また、犠牲になっていたのです。だから、ここで示されていることが気に入りました。それを一人でやらなくてもいい。ここにくれば一人じゃないから。誰かが私と一緒に取り組んでくれる。
これが根拠です。彼女はここで何を語っているでしょう?何が結果でしょうか?この結果という言葉の使い方はうまくないのですが。彼女は何を言っていますか?何が起きているのでしょうか?彼女の語りの中で、何が変化していますか?彼女の何が進化しているのでしょうか?
(アイデンティティ)
自分にアイデンティティがあったという気づきですね。自分が今居るところから、一歩引いてみて、それが自分の望む方向なのかどうかを決めるのは、私たちに出来る、とても強力なことです。仏教徒が長年にわたってやろうとしてきたこと、基本的なマインドフルネスの実践です。