IPS の世界観にふれる ~学びが生まれる関係とは~(札幌)

皆さんは、インテンショナル・ピア・サポート(IPS)をご存知でしょうか。

IPSを形作ったシェリー・ミード氏は、自分が援助を受ける立場におかれていたとき、援助の世界は利用者の問題を中心とした一方通行の関係ばかりであることに気がつきました。そして援助関係とは異なる、お互いの成長をもたらすような関係性会話のあり方を探り、実践してきました。自分自身やお互いに対する思い込みに縛られない、偽りのない誠実な、素の人間同士の関わりの在り方です。立場や役割の違いを超えて、お互いに学び合い、変化し、成長するような関係が広がっていったらどんな社会になると思いますか。これはピア同士の間だけでなく、あらゆる人間関係に求められていることではないでしょうか。

今回、IPSを紹介する短時間のワークショップを企画しました。IPSの世界観にふれるとともにお互いに対する深い理解と新たな視点が生まれるような会話の可能性と、それを実践できる手ごたえを感じていただければと思います。

みなさまのご参加を、心よりお待ちしています。

概要
日時 2013年3月8日(金) 受付18:30~ 開始19: 00 終了20:30
内容 IPSについてワークショップ形式で体験します
講師 久野 恵理氏(IPS研修ファシリテーター・WRAPアドバンスド・ファシリテーター)
小林 園子氏(WRAPファシリテーター・市川IPS勉強会)
宮本 有紀氏(東京IPS勉強会)
対象者 IPS(インテンショナル・ピアサポート)について関心のある方
「ワークショップ20130308」と明記の上、参加希望者の氏名、連絡先(電話、FAX、Eメール)、所属を下記の申し込み先にEメールまたはFAXにて、2013年3月6日(水)までにお申し込みください。
定員 50名(予定)
場所 札幌市民ホール2F 第2会議室 (札幌市中央区北1条西1丁目)
※ 東西線大通駅・南北線大通駅・東豊線大通駅にて下車、31番出口正面
※ 会場には駐車場がありませんので公共交通機関をご利用ください
参加費 1,000円(資料代を含む)
※当日受付にてお支払いください
申込先 NPO法人コミュネット楽創 就業・生活相談室 からびな内 IPS合宿事務局
担当 大川 FAX:011-757-7881 E-mail:ipssapporo@gmail.com
主催 NPO法人コミュネット楽創 NPO法人NECST
※ この事業は北海道新聞社会福祉振興基金及び日本財団の助成を受けています
印刷用チラシ


アイコンをクリックすると、印刷用のチラシがダウンロードできます。


シェリー・ミード  安全・安心とリスクについて【文字起こし】

【この文章の元になった講演の動画は → こちらのページで視聴できます。】

こころの痛みの言葉としての自殺

  • 自殺は感情ではない。
  • 自殺は常に一つの選択肢である。
  • 死にたいと思うことが癖・依存になっている。
  • ありのままに感じることから自分を遠ざける。
  • 診断評価の会話をしていると:
    • 相互的な関係ではなくなる。
    • いたみについて語ることが出来ない。
    • 新たな対応を見出すことが出来ない。

私は安全とリスクについて、リスクの共有という見方をしたいと考えてきました。自殺の言葉を使うことで、それが精神医療の文化と混ざり合って、死にたいという気持ちについての語りがおろそかにされているようです。誰かが死にたいと口にすると、人々は反応して、即座に、どうすべきかという話になりがちです。自殺というのは感情ではありません。これは行為なわけです。私たちは、激しい痛み、困難な感情を自殺の言葉で語るようになっています。それで診断評価へと導かれます。ピアでさえもです。クライシスの民間対応プログラムの活動をしていると、そういう場面によく出くわします。「病院に連絡しようか?」「かなり危険な状態じゃない?」という診断評価モードに入ってしまいます。もしリスクを共有すること、相互の責任ということに、私たちが取り組まなければ、何かあったときの責任をだれがとるのかという、責任問題への対応に流されて、従来の診断評価のやり方に戻ってしまうだろうと心配しています。そこで行き詰まってしまうでしょう。

 

死にたいという思いは、私たちの多くにとって、反応というか条件反射のようになっているようです。みなさんはどうですか?私はかなり若いときから、こころの痛みと死にたいという思いが直接的に結びついていました。その当時は、こころの痛み、混乱、ひどい出来事から、すぐにそれを自殺という形で行動に移す可能性を考えました。たぶんみなさんの多くもそうだろうと思うのですが、そうしていると、とても困難な感情がおきると、その感情を感じるのではなく、即座に死ぬことを考え始めるようになりました。みなさんはどうすか?そういう経験がありますか?

 

私が治療関係の中で得たことの一つですが、ピアではなく、従来の治療関係にある人から、「自殺は常に選択の一つだから、あなたが自殺するかどうか、私にはそれをコントロールすることはできない。」と言われました。それで、コントロールしようとパワーを行使する関係から離れ、違った言葉で話すことを学びました。

 

私にとっては、死にたいという思いを口にすることは、ありのままの自分で居ることから、逃れることでした。これは、困難なときを経験した人、あらゆる種類の暴力を経験した人にとって、珍しいことではありません。でも、そうすることで、ありのままの自分で居ることからどんどん遠ざかり、気分が良いか、死にたいと思っているか、白黒、そのどちらかでしかないというふうになっていました。今は、もう、そういうことはありませんが。

 

死にたいと思うことについて、それを依存あるいは癖と考えて、ピア同士でその話をしはじめたらどうなるでしょう。電話相談をしているプログラムで、実際に、こういう会話を始めました。そこでは違った問いかけを人々にしています。

 

診断評価の会話に入ってしまうと、どれほどピアであったとしても、そこで相互的な関係は終わってしまいます。交渉はなくなります。こころの痛みについての語りは閉じられます。違った対応に開かれることはありません。なぜなら、その時点でできることは、誰かを入院させるか、させないかだけだからです。

 

関係性に焦点をあてた、違った会話を積み重ねる

  • 自殺を考えることが、自動的な反応のようになって、どのくらいになるのかを聞く。
  • 誰かが死にたいとあなたに言うとき、その人はあなたにどうしてほしいのかを聞く。
  • 診断評価に陥ると関係はどうなるかについて話し合う。
  • あなたが感じていること、必要としていることを伝える。自分の荷物は自分で背負いましょう!

自分も相手も大切です。

 

リスクと危険性についてどう取り扱うのかをまずはじめに話し合っておくことが大切です。実際にそうなる前に、もし、どちらか一方が「もうだめだ。コントロールがきかない。死にたい。」と言ったら、言われたほうはどんな気持ちになるだろうかを話し、どんなふうに対応するかを話し合っておきます。精神科医が患者さんと話をするとき、はじめにこういう会話をしていたらどうなると思いますか?あらかじめ、どんなふうに対応するかを一緒に考えることができるでしょう。

 

自殺の言葉を反応として使い始め、それがパターンになってどのくらいになるのかを振り返ることも興味深いと思います。そのせいで、こころの痛みについて語ることや、どんな状況におかれているのかを語ることから、どれほどかけ離れてしまっていたのかを一緒に振り返ってみることです。

 

誰かが死にたいという思いを口にしたとき、あなたにどうしてほしいのかを話し合うことも、あらかじめしておくと良いことの一つです。何年も前のことですが、私は、暴力を受けた女性のプロジェクトで知り合った女性から、「あなたがそう口にしたとき、私にどう対応してほしいの?」と問われました。彼女は、私より、もっとリスクをとる人で、そこから交渉が始まりました。私は彼女に自分が必要としていることを話しました。それは容易なことではありませんでした。というのは、私がそう口にするときは、自分が何を必要としているのかは考えたくないからです。自分でコントロールしたくはないのです。誰かに私の痛みを何とかしてほしい、私が死にたいと言うのはそういう意味だったからです。

 

もし診断評価を導くようなことになったら関係はどうなるかを、事前に話し合うことも大切だと思います。もし、とても怖くなって、診断評価のことが頭の中を駆け巡り始めたとしたら、関係はどうなるでしょうか?そうなったとき、どうしたら、軌道修正できるでしょうか?私たちは誰でも診断評価をする役割に陥ったことが、一度ならずあると思います。なので、事前に、どうしたら関係性を軌道に戻すことができるかを話し合っておきます。

 

私は、クライシス・プログラムのスタッフ向けに5日間研修をしているのですが、クライシス対応をするピアが、診断評価に陥った状況の後で、それをどう取り扱うのかは興味深いものです。たとえば、メイン州のピアが運営するプログラムに、ある女性がやってきて、彼女は食事を全くしませんでした。誰もがその事態の周辺をうろうろして、「それは彼女の選択だ。」「でも、死んでしまうよ。」「私たちはどうしたらいいの?」「いや、でも、彼女の選択だ。」と倫理上の会話をしていて、誰も、彼女に「私は怖いです。」という人はいませんでした。彼女に「私は、あなたが何も食べないし、何も飲まないでいるのを見ていられません。こわいんです。」と話しかける人はいませんでした。そういう話をするのが関係性の会話です。もしくは「私は、怒りを感じています。」とか。その人の周りを遠巻きにして、踏んだら壊れてしまう卵の殻の上を歩くみたいにしています。実際のところ、私たちは、それほど壊れやすくはないのです。関係性のなかで感じていることをお互いに伝え、自分の荷物は自分で背負いましょう。

 

私たちがしようとしているピアの関係性においては、どちらの人も大切なのです。それがここでお話してきたすべてのことの基盤です。どちらもが大切だとしたら、困難な状況の会話でも、相互の責任についてのやり取りがなされるでしょう。

シェリー・ミード  安全・安心とリスクについて【動画】

【この講演の内容を文字に起こしたものが、 → こちらのページで閲覧できます。】

Twitter ミーティング

下記の要領でTwitterミーティングを開催してみます。

  1. 2012年xx月xx日 xx:xx にこのページに来て、上の動画を再生する。
  2. 動画を見ながら、ハッシュタグ #ipsjp15 をつけて、思ったこと、感じたこと、印象に残った言葉、などなどをツイートする。
  3. 他の人のツイートを見て、つぶやいたり、返信したりする。


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シェリー・ミードIPS講演会 (3/3): IPSの4つのタスク【文字起こし】

【以下の文章は、シェリー・ミード氏が2009年12月に東京の上智大学で行ったIPS講演の書き起こしに、若干の加筆修正をしたものです。この文章の元になった講演の動画は → こちらのページで視聴できます。】

 

ここまでは理論的な枠組みについてお話してきました。次は、IPSをどのように実践するか、実践を導くタスク、原則についてお話します。

 

IPSの4つのタスク

つながり

先ほどお話したような関係性は4つの段階から導かれます。まずはその概要をお話します。

 

一つ目はつながりです。これが最もわかりやすいものです。お互いのためになり、お互いの力を引き出すような関係性であるためには、まず、つながりがなければなりません。ピアサポートでは、明らかなつながりがあることが多いでしょう。「私と同じ経験をしている人がいたのだ。」というのが、まずはじめの強力なつながりになります。

 

ですが、つながりをつくるのは、それだけではありません。自分がどのように自分の経験を意味づけているのか、また、自分はどのような価値判断をしているのかに気づかずにいると、相手の人や状況について、数限りない決め付けをしていることがあります。ピアサポート・センターをしていたときに、人々がこういうのをよく耳にしました。「私も全く同じ経験があるから、よくわかるよ。」と。これは問題です。というのは、他人が経験したことの全てをわかるということは、ありえないからです。

 

ピアサポートのつながりはとても強力なのですが、それが制限になることもあります。とくに否定的な経験を媒介にしてつながりができていると、それを慰めあうことにとどまってしまうことになりかねません。そうならないためには、人や関係の全体をみる、より内省的な過程が必要でしょう。

 

世界観

自分はどうしてそのように考えるようになったのか、どのような背景でそう学んできたのかに意識を向けます。そして、相手の人が、そのように考えるようになった背景に意識を向けます。人が語るストーリーを聴いているとき、ストーリーの表面上の言葉だけにとらわれて、話の半分しか聴いておらず、その背後にあることに耳を傾けていないことが多々あります。そう考えるようになるまでのすべてのストーリー、それをとりまく意味づけのあれこれについて思いをめぐらすことをせず、語られたストーリーの表面だけにとらわれてしまいます。

 

意識することで、自分の経験を一歩はなれて見ることが出来ます。自分に見えていることを意識しているというのは難しい概念で、マインドフルネスとして心得ている人も多いようです。それは、自分の思い込みに気づき、相手の人について、持ち込んでいる思い込みを意識してみることです。自分の思い込みで物事を認識し、判断するのではなく。

 

相互性

どのようにして、そう思うようになったのかに目を向けると、関係性がいくらか開かれます。人がどのような経験をしてきたのかを理解し始めると、関係性は深まるからです。それと同時に、自分についても振り返り、自分が知らず知らず信じていることや思い込みに気がつきます。相手の人についてより深く知り、語られているストーリーの背後にある、より大きなストーリーに関心を持つと、その人がどうして、そのようなストーリーを語るようになったのかがわかり始めます。それが相互性を導きます。ここがインテンショナル・ピアサポートの鍵になるところです。相互に学び成長する関係性であることです。これは容易にできることではありません。ピアサポートは簡単に聞こえるかもしれませんが。

 

相互性は単に仲がよいということではありません。どちらもの努力を必要とします。できるだけ偽りがなく、透明であることが求められます。援助関係に陥っていると、自分が必要としていることに対して正直になることに、居心地の悪さを感じるかもしれません。そうして、恨みの気持ちが出てきたり、負担に感じたりします。人々は私たちが思うほど壊れやすくはないのです。もし自分の必要としていることや感じていることを明らかにせず、双方にとって、関係がうまくいくためのやり取りをしなければ、必ずしもお互いのためにはならない力動をもたらすことになるでしょう。

 

報酬をもらって、ピアスタッフとして雇われた人との関係となると、相互性はややこしくなります。片方が持っていない役割を、もう片方が持つことになるからです。相互性に焦点をあてるのはそのためです。

 

昨日、昨年IPS研修を受けた人たちの数名がワークショップにきていて、相互性は衝突がある場面でのみ求められると理解していたと聞きました。そうではなく、相互性はひらめきや新しい視点が生まれて、刺激を感じられるような対話のことを意味しています。つながりを感じられた人と、さらに深い話をして、お互いのことがわかってきたときの対話です。

 

向かうこと

つながりをつくり、人のことをもっとよく知り、どちらもが関係を深める努力をしているとき、何かに向かい始めるエネルギーが出てきます。新しい方向性のようなものです。精神保健では、うまくいっていないことから遠ざかることに焦点があてられています。望まないことに焦点をあてたり、それに対処するのでなく、望むことに焦点をあてるというのは、いろいろな意味で、新しい考え方です。
それでは、4つの段階あるいはタスクのそれぞれについて、詳しくみていきましょう。

 

つながり‐つながりを切ること‐つながりの再生

つながり

  • その場に居ること(意識を集中させて)
  • あせらないこと
  • 心を開いていること(批判・判断を持ち込まない)
  • 自分の反応に気がついていること
  • 関心・興味を持っていること
  • ありのまま・素の自分であること

これらのどれも納得できるものだと思います。ただし、口で言うのは簡単ですが、実行するのははるかに難しいことです。IPS研修に参加して、このような関係性をつくることに力を注いできた人たちは、このような関わりには忍耐と努力が必要だと証言してくれるでしょう。

 

つながりを作るのに大切なのは、ただその場に居ること、心を開いていること、応じること、あまり決め付けをしないようにすること、自分の思い込みに気がついていること、関係をつくるのに辛抱強くあること、などです。私は、つながりをつくることに必死になりすぎるときがあり、そうすると、押しが強くなってしまいます。つながりをつくることに一所懸命になって、でも、つながりはできない。それが数週間後、私の言った何かが相手の人に響き、つながりができるというようなことがあります。そのはじめのつながりを作るためには、あせらないことが大切です。

 

心を開いていること、変化するのを厭わないこと、受け入れようとすること、興味をもつこと、も大事です。精神医療の世界で、特に患者の立場として身についたことは、自分のことしか話さないということでした。私のどこが悪いのかについて話すことしか学びませんでした。それで、しばらくの間、人に興味を持とうとするのがぎこちなく感じられました。何を聞いたらよいのかわからなかったのです。それは悲しいことで、その場に居て、心を開いて、それほど親しくない人、あるいは、必ずしも気に入っているわけではない人に興味を持つのには努力を要します。

 

つながりを切るもの

  • 自分の話を使いすぎるか、自分の方が上をいくという態度
  • 批判・判断を下すこと
  • 議論したり、教えを述べること
  • アドバイス(忠告)する こと
  • 同意、承認、ほめること
  • 解釈や分析をすること
  • 同情、一緒に惨めな気分になること
  • 冗談めかすこと
  • 会話を独占する、自分の議題を押し付けること

つながりは永遠に続くものではありません。何か言ったり、したりして、つながりが切れることはしょっちゅうあります。でもそれはこの世の終わりではありません。どのようなことが、つながりを切ることになるのかを知っておきましょう。みなさんはサポートグループにかかわったことがあるかどうかわかりませんが、ピアサポートのグループで興味深かったのは、人々にとって自分のストーリーがとても大切で、人の話を本当によく聴いて、心を開いているのではなく、自分のほうが上を行くということ、つまり、自分のストーリーのほうが立派だと示したがるという傾向でした。皆さんも経験があるかどうかわかりませんが、これはピサポートの邪魔になります。

 

ここに挙げた、つながりを切ることのどれも、みなさんには明らかなことでしょう。いくつか、それほど、当たり前とは思えないものもあります。たとえば、同意、励まし、ほめること。この考えをはじめて聞いたとき、誰かに同意をしたからといって、つながりを切ることにはならないだろうと思いました。ですが、同意をすることで人を操作しようとすることがあると気がつきました。たとえば、息子が、「お母さん、部屋を掃除したよ。」といったとき、私が、「そう、よくやったね、えらいね、すばらしい。」といったとします。その時私が本当に言っていることは、『いつも、しなさいね。』ということだったりします。

 

つながりを再生させる方法

  • 起きたことを口に出して言う (今、つながりが切れたようでしたね?)
  • 自分のパートに責任を持つ
  • 謝る (ごめんなさい、集中してなかった。もう一度、やりなおしてもいいですか?)
  • 尋ねる (何か気に障るようなことを言ったでしょうか?)

つながりが切れたとしても、あるいは、何かしらあって、つながりが切れているのかどうか不確かなときでも、つながりを再生するためにできることがあります。つながりが切れることは会話の最中によくあることです。私にとっては、ここでは、日本語がよくわからないので、というか単語を4つくらいしか知らないので、人が私に話しかけているときに、つながりを保つのがとても難しいです。関心をもち続けていようとしても、言葉の壁があって、理解できず、通訳を待たなければなりません。しかし、つながりを失ったときにできることがあります。つまり、「ことばが理解できなくて集中できませんでした。ごめんなさい。」ということです。それらのことが、つながりを再生する助けになります。

 

ですから、つながりを意識していることがとても大事です。つながりがあるときとないとき、つながりを再生させる必要のあるときに気がついていることです。

 

世界観-どのように世界が見ているのか、どうしてそう思うようになったのか

世界観

  • 自分自身や世界がどのように見えているか(信じていること、価値観、考え方、物事がどうなるかの予測)に意識を向ける。
  • どうしてそういう見方・考え方をするようになったのかに関心を持つ。
  • 人はさまざまな経験をへて、自分についてのストーリーを作り上げている。
  • そのストーリーに基づいて、人の反応を解釈し、“現実”を作り出す。

次は世界観について。これはわかりにくい概念です。というのは、自分の経験していることから一歩離れてみて、自分の考え方や行動の仕方を観察するのは難しいことだからです。私たちがどのように自分のことを見て、信念がどのように形作られきたのか。そして、私たちのもつ価値観が人との関係にどのような影響を与え、信念がどのように思い込みに影響しているのかということを考えてみましょう。自分の信じていることが見えてきて、それを脇に置いてみることができると、相手の人に対する決め付けをそれほどしなくなります。

 

世界観の別の側面は、私たちの経てきた歴史に基づいてストーリーが作られるということです。そしてそのストーリーを通して世界を理解します。たとえば、私は研修をすることに不安があるので、古いメッセージ、古いストーリーが、頭の中にわいてきます。『笑いものにされる』『自分はバカだ』というようなメッセージです。そうすると、私は、人の反応や表情を、そのように解釈します。そういう現実を自分で作り上げているからです。そして、実際にそうなるように仕向けます。自分もそうだという人はどのくらいいますか?自分で現実を作って、それに加担し、そのストーリーから一歩退いてみようとはしません。なれきってしまっているからです。

 

スティーブン・カビィが提唱している公式があります。これは、何か違う結果を得るために、何か違ったことをするには、ものの見方を変える必要があるということです。もし人からの批判、否定的なメッセージを通して物事を見ていたとしたら、緊張が高まり、間違えをして、それで人々が混乱した表情になり、それが私の信じている『自分がバカだ』という見方を強化します。

 

演習をしましょう。この椅子に座っている女性はあなたが知っている人だとします。彼女はどうしたのでしょう?どんな状況なのでしょうか?あなたのはじめの印象を書いてください。そして、そう思ったとしたら、あなたはどうしますか?声をかけるか、何かするか、あなたが反射的にしそうなことを書いてください。

例えば、もし彼女が抑うつのように見えたとして、「元気ないね、気分がよくなるといいですね。」とあなたが言ったとします。実際には彼女は、物思いにふけっていただけで、抑うつではなかったとしても、抑うつに関する会話をその人と始めることになるかもしれません。もし私が考え事をしていたときに、誰かから、「元気ないみたいだね、どうかしたの?私に何かできることがある?」といわれたら、「そんなに具合悪そうに見えるのかな。どうしたのだろう、調子が悪いのかな。」と思って、自分は抑うつなのかもしれないと思い始めるかもしれません。あなたの思い込みによって、そういう会話が作り出されます。

 

この写真をみてある男性は、自殺しそうなほどのうつに見えるので、警察か救急に連絡すると言いました。もしそうしたら、どうなると思いますか?別の人は、この女性はノーベル賞を受賞して、賞金の使い道を考えているのかもしれないと言っていました。

 

思い込みがいかに物事を左右するのかがわかるかと思います。私たちの見方が、これらの会話を作り出します。そうして、関係性に影響を与えるストーリーを作り出します。もう一つ、お聞きします。もし、彼女が座っているのは精神科の病院の中だといったら、あなたの思い込みは変わりますか? 私たちは、人がどのようなところにいるのかによって、物事を意味づけていることが多いようです。

 

相互性

相互性

  • 相互性は二つ、あるいはそれ以上の世界観の橋渡しをする。
  • 対話を通して、新しい理解が生み出される。

お互いの世界観が違うことは良い知らせです。自分に見えているものをより透明にして、自分の思い込みを明らかにすれば、対話の機会が生まれます。そこに相互性の概念が入ってきます。これはピアサポートにとって、とても重要なことです。相互性とは二つ以上の世界観をつなぐ橋です。そして、対話を通して理解が生まれます。

 

相互性は・・・

  • お互いにサポートすることだけを意味しているのではない。
  • 双方にとっての学びを生み出すことができる。
  • お互いに、偽らず、隠し事をしていないことを意味する。
  • 力(パワー)の問題を意識していることを意味する。

相互性の概念は、ピアサポートではとても興味深いものです。ピアサポートをする理由は、それがより相互的であるからなのは明らかです。ですが、もし、問題やお互いに助け合うことに焦点が置かれていると、それは助けを交換していることになります。「あなたを助けてあげるから、あなたも私を助けてね。」というような。それは関係を通して成長するというのとは違います。相互性は、どちらかが落ち込んでいるときに、助けを提供したり受け取ったりするというのではなく、物事について語り、新たな、貴重な可能性を生み出すようなスペース、環境を作ることです。そのスペースには偽りがなく、透明であることを前提にしています。物事についての見方が違うとき、透明なスペースで対話をすることは難しいでしょう。そういうときに、自分に見えていること、感じていること、必要としていることを伝えることは本当に難しいことです。

 

相互性は希望を感じさせる対話で、向かうことに導いてくれます。衝突があると、それがしにくくなります。そのために、相互性は衝突のあるところでのみ問われることだと思った人もいたのでしょう。相互性はより透明になり、可能性に開かれる過程のことです。

 

相互的でしょうか?

  • あなたのリカバリーを手助けするのが私の仕事です。
  • 人の助けになれると気分がいい。
  • 私のためになったことをあなたも試してみるべきです。
  • お互いに学んでいると思えるためには どうしたらいいのだろう?

これらの発言を見てみましょう。ピアサポートでよく聞かれるものです。特に、報酬を受けている立場、クラブハウスなどで役割のある立場、片方が相手の人のために雇われているというようなところでよく耳にします。この発言に相互性があるかどうかを考えてみてください。

 

「あなたのリカバリーの手助けをするのが私の仕事です。」これはどういうことを示唆していますか?この発言から、関係はどこに向かうでしょうか。「あなたのリカバリーのお手伝いをさせてください。」と、ピアから言われたら、関係はどうなると思いますか?一方が専門家となり、助けることを前提にして、もう一方は助けを受ける側になります。ただ、この発言は微妙で、だめだとは言い切れないところがあります。私たちはお互いにサポートをするし、より良い人生に向かことを望んでいるのですから。ですが、まずはじめにこう言ったとしたら、あまり、相互的な関係にはならないでしょう。

 

「あなたの助けになれてうれしいです。」というのはどうでしょう。助けることの喜びに焦点をあてていると、自分の成長には目が向きません。相手の人が助けを受けていると感じることで、自分の成長の感覚が得られているのだとしたら、相互的な関係にはなりにくいでしょう。

 

「私はこれをして良かったから、あなたも試してみたらいいのに。」というのも、よく聞きます。この発言で、片方が相手にアドバイスを与えていることは明白です。それは、必ずしも最善のことではありません。ピアサポートでは、経験を共有するために集まっている部分が大きいわけですが、ピアサポートとは、自分たちの経験を人に押し付けることだと思っているのだとしたら、いろいろな問題が生じてきます。

 

向かうことに焦点をあてる

向かうこと

  • 向かうことは、あなたが望むことについての、はっきりとしたビジョンを描くことを意味している。
  • 避けることは、うまくいっていないことに焦点をあて、そこから遠ざかろうとすること。

インテンショナル・ピアサポートの四つ目のタスクは、向かうことという在り方です。つながり、お互いのものの見方を知ること、相互的な関係性であることを通して、エネルギーが生まれ、何かに向かう感覚が生じます。これは、障害に焦点をあてていること、問題を避けようとしているのとは異なります。

 

これは、それほど簡単なことではありません。では演習です。あなたが向かっていることを二つか三つ書いてください。それから、あなたが避けようとしていることを二つか三つ書いてください。

 

これは、ごくわずかですがとても重要な発想の転換です。WRAPをやっている人は、この考えが身についていると思います。自分の望まない人生にならないように何をするかではなく、自分の望む人生を作り出すために何ができるかに目を向けさせてくれるからです。

 

IPSが示唆すること

IPSが示唆すること

  • ピアサポートの関係は他の関係に影響を与える。
  • さまざまな見方に対して、心を開くことになる。(多数の真実を受け入れる)
  • 地域での会話を変えることになる。
  • “全地球的な思考”を始めることにつながる。

最後に、このような関係性が示唆することについて、少しお話します。それで時間があったら、先ほどしようとした演習をしましょう。ピアサポートがもたらす影響を測ることもできると思います。その一つは、この新たな、相互に力を与え合う関係が、他の関係のモデルになることです。その波及効果を思うと、これは単にリカバリーではなく、社会変革を意味するでしょう。それがピアサポートのとても重要な側面だと思います。

 

また世界観に深く耳を傾けると、違った見方に開かれるようになります。新しい視点を得ます。それは個人のリカバリーだけでなく、社会変革を示唆しています。そして、このような会話が起きていると、地域での会話が変わります。私たちはお互いを病気や障害を持つ人とか、専門的な援助がなければ生活できない人というふうな見方をせず、専門的なサービスに責任をゆだねるのではなく、地域で責任を担い合います。それはより広い意味合いを持ちます。地域でお互いに学ぶようにサポートするということです。その心づもりがあるとしたら、この世界は全く違ったものになるでしょう。

 

用意していた演習は、誰かと短い会話をしてもらうことです。完璧な精神保健システムを作ることについて、ただ話しをしてみてください。そのとき、エネルギーが感じられる会話であるようにし、つながりを意識してください。お互いに共通していることについて、違っていることについて、議論できることについて、精神保健システムの変革のためのアイデアについてなど、それらについて、どんなふうにお互いの話をきくことができるだろうかを意識しながら、会話をしてみてください。そして、この会話を通して、単に精神保健システムについてだけではなく、より良い社会を目指して、向かいはじめるエネルギーを感じてください。これが演習です。時間のある時に試してみていただければと思います。

 

今日、みなさんが来てくださったこと、難しい質問をしてくださり、熟慮してくださったことに、本当に感謝しています。昨年、久留米で研修をして学んだことですが、日本で学んでいる人たちのように、意味のある何かを生み出すことを実行し、新しいシステムを作りだすことに力を注いでいる人たちに出会うのは、アメリカでは、あまり経験できません。そこに立ち合わせていただけることを光栄に思っています。ありがとうございました。

シェリー・ミードIPS講演会 (3/3): IPSの4つのタスク【動画】

【2009年12月に東京で行われた、シェリー・ミードさんのインテンショナル(意図的・意識的)ピアサポート(IPS)講演会です。この講演の内容を文字に起こしたものが、 → こちらのページで閲覧できます。】

Twitter ミーティング

下記の要領でTwitterミーティングを開催してみます。

  1. 2012年xx月xx日 xx:xx にこのページに来て、上の動画を再生する。
  2. 動画を見ながら、ハッシュタグ #ipsjp14 をつけて、思ったこと、感じたこと、印象に残った言葉、などなどをツイートする。
  3. 他の人のツイートを見て、つぶやいたり、返信したりする。


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シェリー・ミードIPS講演会 (2/3): IPSの三つの視座【文字起こし】

【以下の文章は、シェリー・ミード氏が2009年12月に東京の上智大学で行ったIPS講演の書き起こしに、若干の加筆修正をしたものです。この文章の元になった講演の動画は → こちらのページで視聴できます。】

 

ピアサポートは特別なことではありません。何かつらいことがあったときに、近所の人や友達のところに行くことがあります。そのとき、その人が自分の経験を通して、そのつらさをわかってくれたとしたら、私たちは自分の弱みを見せて、その状況や経験を話すことが出来ます。そのように、人のつらさを自分の経験を通してわかるために、困難な思いをしている人とその場に一緒に居ること、それがピアサポートです。誰でもそういう経験があるだろうと思います。

 

そうではあるのですが、インテンショナル・ピアサポートでは、あるインテンション(意図、意識していること、心がけ)があるということをお話したいと思います。先ほど、インテンショナル・ピアサポートのインテンションに関心があるという発言がありましたが、そこが大事なところなのです。私たちがしようとしていることに、ある目的というか、心がけている意図がなければ、ピアサポートは病気や困難な経験を共有することにとどまり、病気を中心にした役割や関係性にしばられてしまいがちです。

 

まずはじめに意図していることは、つながりをつくることです。心を開き、とても深遠な関わりの在り方をすることです。そのとき、今いるところから、一歩足を踏み出すことを意識しています。つながりと関係性を通して新たな可能性に開かれることです。お互いにチャレンジし、プッシュし、支えあい、認め合って、その結果、どちらもが学びの経験を得ることです。そうすることで、物事への新しい見方が生まれるでしょう。みなさんはどうかわかりませんが、私は長い間、自分は再起不能で、常に専門的な援助を必要とし、事態は好転しないと思っていました。可能性に開かれるような視点を持ち合わせていなかったからです。私をプッシュして、チャレンジしてくる人がいなかったからです。一緒に学ぶという意図を持つことで、何かを生み出す関係性を作ることが出来ます。

 

IPSの関係性と援助の関係性の違い

  • 助けではなく、学びに意識を向ける
  • 個人ではなく、関係性に焦点をあてる
  • 恐れではなく、希望を基にしている

 

IPSの関係性と援助の関係性との違いを明確にすることが大切だと考えています。そこには根本的な違いがあります。それを三つの視座の違いとしてお話したいと思います。まず、要点だけをいうと、第一に、IPSの関係性は助けに焦点をあてるのではなく、相互の学びに焦点をあてることです。助けることに焦点があたっていると、問題を中心としたストーリーに閉じ込められることになります。相互の学びに焦点をあてると、全く違った文脈が生まれます。

 

二つ目の違いは、IPSは個人ではなく関係性に目を向けることです。お互いに力を引き出すような関係性から生じるものに注目し、そのような関係性の特徴について考えます。

 

三つ目は、IPSでは恐れに導かれた対応や関係のあり方ではなく、希望に導かれた対応や関係性を実践することです。精神医療では、特にクライシス状況においては、恐れに基づいた対応、リスクを避けるための対応が中心になっているようです。これは致し方ないことだとは思います。人は恐れを感じると確かなものを求めるからです。ですが、恐れに基づいた反応をされ続けると、私たちは自分の感情すら恐れるようになります。激しい感情を持つことを怖がるようになります。それだけでも私たちを閉じ込めるのに十分な威力があります。なので、希望に導かれた関係を作りたいと考えました。リスクについて問い直し、可能性に開かれた関係です。リスクをとらないでいたら、そのことが問題となるような関係性です。

 

さらに話を進める前に、ここで確認しておきたいことがあります。助けることに焦点をあてないというとき、援助という概念を捨て去ろうというのではないということです。どちらにとっても有益であるように、助けを再定義できればと思うのです。助けることを親の仇にしているのではありません。助けと学びでは、目を向けているところが違うというだけのことです。

 

この三つの視座の違いについての理解を得るために、いくつか演習を用意しました。よかったら考えをお聞かせください。言いたいと思うことだけでかまいません。

 

助ける・助けられる関係について
(質問1)はじめの質問です。私たちの多くは援助を受けることを終身刑として言い渡された経験があります。「あなたは常に援助が必要なのです。」と言われると、どんな気持ちがするものですか?そう告げられたときのことを覚えている人はいますか?

 

今日、皆さんと一緒に考えてみたいことは、実際に双方のためになるような、新たな関わりの在り方についてです。一生、専門的な援助を受け続けなければならないという考えを人々に植えつけないようにすることです。

 

(質問2)次の質問です。自分は人の世話をする役割、助けの役割をしがちだという人はいますか?自然とそういう役割を取ってしまう、それが身についてしまっている人も多いと思います。自分が常に助ける役割であるとしたら、相手の人との関係はどうなると思いますか?

 

(会場からのコメントに対して)相手の人との関係に負担を感じて、恨みの気持ちをつのらせることは避けたいですね。そういう気持ちが出てきたことについて話をして、学びに焦点を移すことで、自由があり、新たな可能性が生まれる関係性をつくることが大事だと思います。

 

(質問3)自分にとって、とても良かった援助関係を思い出せる人はいますか?つらい経験をしているときに、誰かがサポートしてくれて、自分の足で立っていることができたというような関係です。どちらもが関係に責任を持っていたというような援助関係を経験した人はいますか?

 

(会場からのコメントに対して)ずっと助けを受ける側にいると、何かお返しをしたいと思うものです。ここで注意を呼びかけたいことは、それが極端になってしまいがちなことです。長い長い間、援助を受ける側にいた人が、誰かを助ける側にまわったとき、それがとてもうれしくて、相互の関係ではなく、一方的な助けの役割に陥ってしまうことがよくあります。

 

援助関係について

  • 援助は、そこに解決すべき問題があることを前提にしている。
  • 援助は、援助を受ける人に対して、こちらが何がしかの専門性を持っていると伝えることになり、力関係の不均衡が生じるかもしれない。

 

助けは、そこに解決すべき問題があることを前提にしています。こんな経験がありました。当事者が運営するクライシス民間対応・代替プログラムをしていたときのことです。そのプログラムは現在も存続しています。そこでは当事者のスタッフが、そこを利用する人のサポートをするのですが、困難を経験している人がそれを乗り越えるのをサポートしたスタッフは、自分がとても良い働きをしたと感じます。誰かの助けになったということで、いい気持ちがします。ですがその後、交代したスタッフは、相談を受ける問題がないと、自分は何も仕事をしていないような気がします。誰かの助けになることが仕事上の役割になっていると、何も問題がないとき、問題を探し始める傾向があります。

 

IPSでいう学びとは?

  • 学びは技術の習得のような類の学習とは異なる。
  • 相互の学びは、すでにある知識の交換だけを意味しているのではない。
  • IPSは、“ひらめき”あるいは学びの瞬間を作り出すことに関心がある。

– お互いにとって、より深い理解と視野の広がりをもたらし、それぞれがより複雑になり、自分についての振り返りが深まること。

ここで学びが意味することについて、明らかにしておきたいことがあります。一緒に学ぶ、相互的な成長と学びを生み出すことは、何かの技術を身につけるというような類の学びをさすのではありません。何か共通したものを持つ人と、密度の濃い、興味深い会話をしているときに起こる、すばらしい感覚が学びです。何か新しい考えを思いつく、アイデアが生まれる、ひらめきを得るというようなことです。ひらめきが生まれた瞬間には、何かが生じているのだと思います。そこに何かがあるはずです。ひらめきの頻度と、そこで生み出されたものを測ることができたら面白いでしょう。

 

学びの関係、つまり、ひらめきの瞬間を生み出すような関係性について考えてみましょう。私の話を紹介します。それから、みなさんのストーリーをお聞きしたいと思います。

 

以前、私は入退院を繰り返していた時期がありました。そうした入院中に子どもたちの養育権を失うことがありました。それは、とても辛いことで、私をもっともおびえさせた出来事の一つでした。私は同じ病院に何度か入院していて、スタッフや病院にいる人たちと顔なじみになっていました。そのとき、感謝祭のときだったのですが、子どもたちの養育権を奪われたと聞かされました。それでとても動揺し、ドアをたたき、病院から出ようとしました。そこに、親しくしていた看護師がやってきて、私の首根っこをつかんで、「シェリー、どうするつもりなの?あなたは慢性精神病患者になるの?それとも、ソーシャルワーカーになるの?」と言いました。その時私はソーシャルワークの学校に通っていたのです。このときまで私は、自分に選択があるとは知りませんでした。それが私にとって学びが生まれた瞬間でした。彼女はリスクをとったのです。私を信じていて、可能性が見えていたから、リスクをとったのです。彼女が私に、それまで存在していなかった新しい世界、新しいストーリーを開いてくれました。

 

(質問4)これまでに、みなさんが経験した学びの関係はどのようなものだったのか、思いだしてみてください。成長している感覚、わくわくする感じ、新しい人生や可能性が開かれる感覚、お互いに活力が感じられるような、そういう関係です。少し考えてみて、よかったら紙に書いてください。あとでそれをお聞かせいただければと思います。

 

(参加者からのコメントに応えて)学びの関係ができるのは、多くを共有している人に限られたことではありません。そのとき、そこに居てくれる人との間で、学びの関係をつくることができます。

 

個人にではなく関係性に焦点をあてること

個人に焦点をあてると

  • 相手の変化のみを求める
  • 何が望ましい結果なのかが、あらかじめ定められている
  • 自分の学びについては見落としている
  • 関係性の力動は視野に入らない

関係性に焦点 をあてると

  • どちらもが相互の学びに貢献する
  • 偽りのないオープンなコミュニケーションの仕方を学ぶ
  • IPSの関係性が他の関係に波及する

IPSと援助関係における視座の違いの二つ目は、IPSでは、個人にではなく、関係性に焦点をあてていることです。これにはいろいろな意味が含まれています。個人に焦点があたっている場合、どちらか一方だけが、変わることを求められ、片方の成長のみを期待するという間違いをしがちです。そして成長を促す関係性の力動に意識を向けることを忘れています。個人を変えようとするのではなく、関係性に焦点をあてることで、個人の変化も起こるものでしょう。

 

また、個人に焦点があたっていると、あらかじめ定められた結果があって、それを得るための助けを提供するということになりがちです。援助をする側が、自分たちが助けになっていることを確認できるように、求めている結果をあらかじめ定めておきます。関係性に焦点を移すと、ピアや同僚と会話を始めるとき、その会話から何が生まれるのか、予測することはできません。けれど希望があります。その希望から可能性が生まれます。

 

個人ではなく関係性に焦点が当たっていると、関係におけるパワーの均衡について考えはじめます。先ほど、助ける役割に陥っていると負担に感じるという発言がありましたが、それが大事な気づきだと思います。お互いの間で何が起きているのかに注意を向けていると、お互いがその関係に何をもたらしているのかを意識しはじめ、どちらもが関係にエネルギーを注ぎこむ必要性が見てきます。パワーの均衡に意識を向けます。そして、関係に行き詰まりを感じたとしたら、何か手を打つでしょう。他人を変えようとするのではなく、関係性について問うのです。

 

関係性に意識を向け、どのような関係性であると、うまくいくのかに目を向けると、雪だるま式に、一つのうまくいった関係、つまり相互的な関係が、別の関係に影響を与えます。自信がもて、相互的な関係はどういうもので、どうすると相互的な関係になるのかについて、つかめてくるからです。相互の学びを生み出す関係性が、他の人間関係にどのような影響を及ぼすかを測るような研究があれば面白いと思います。

 

恐れではなく、希望を基にしている

恐れ 予測ができないこと=コントロールを失う恐れ

  • いつもどおりであること、予測ができることが保障されるように努める
  • コントロール、支配、さらなる力(パワー)を必要とする

希望 予測ができないこと=可能性

  • 新たな可能性に心を開いている
  • 居心地の悪さと共にいるつもりがある
  • 相互の関係の過程に信頼をおく

IPSの視座の三つ目の特徴は、恐れではなく、希望に導かれた関係性であることです。恐れを基盤にした関係はリスクと責任問題を取り扱うことに終始しがちです。精神医療サービスの多くは恐れを基に動いています。人々を守ること、社会を守ることです。予測可能な結果を使って、何が良い実践であるか定義します。誰かがコントロールを失っていると感じると、私たちは恐れを抱き、状況をコントロールしようとする傾向があります。

 

希望を基盤にした関係性であるには、あらかじめ決められた結果を求めるのではなく、予測のできなさを受け入れることが求められます。そして、ある程度の居心地の悪さと一緒に居ることです。恐れを感じたとき、コントロールしたいと思うのは、自分が居心地悪く感じるからでしょう。居心地の悪さを我慢できること、自分の不安と一緒に居られること、コントロールしようとするのではなく、ただ、一緒に居ることが、希望を基盤にした関係性では必要とされます。

 

次は、これらの考え方の実践についてお話します。実際にこれらをどうやって、教え、学ぶかということです。

シェリー・ミードIPS講演会 (2/3): IPSの三つの視座【動画】

【2009年12月に東京で行われた、シェリー・ミードさんのインテンショナル(意図的・意識的)ピアサポート(IPS)講演会です。この講演の内容を文字に起こしたものが、 → こちらのページで閲覧できます。】

Twitter ミーティング

下記の要領でTwitterミーティングを開催してみます。

  1. 2012年5月8日 21:00 にこのページに来て、上の動画を再生する。
  2. 動画を見ながら、ハッシュタグ #ipsjp13 をつけて、思ったこと、感じたこと、印象に残った言葉、などなどをツイートする。
  3. 他の人のツイートを見て、つぶやいたり、返信したりする。


Twitterミーティングのまとめ

http://togetter.com/li/303820

シェリー・ミードIPS講演会 (1/3): イントロダクション【文字起こし】

【以下の文章は、シェリー・ミード氏が2009年12月に東京の上智大学で行ったIPS講演の書き起こしに、若干の加筆修正をしたものです。この文章の元になった講演の動画は → こちらのページで視聴できます。】

 

話を始める前にまず、責任放棄宣言をしておきます。(パーキンソン病のために飲んでいる)薬の影響で、頭が上下に動いて、うなずいているように見えるのですが、必ずしも、みなさんがおっしゃっていることに同意しているわけではありません。

 

私が精神保健の領域でピアサポートを始めた理由の一つは、自分が最も大変な時期を過ごしているときに、ピアサポートのようなものが何もなかったからです。そのため、私は、援助職関係者に囲まれたコミュニティで生きるようになり、そこでは、私のことを治したり、助けようとする人との関係ばかりだと感じていました。そうして、通常の社会の一員として、人と関わる力を失ってしまいました。私は、家庭内の暴力の被害を受けた女性たちのサポートグループに関わっていた経験があるのですが、そこではみんながお互いをサポートし合い、ピア主体の運動になっていました。でも、精神保健の領域では、そういうものがありませんでした。あるとしても、人が集まって、自分たちの生活上の困難や病気のことばかりを話している、というものでした。

 

そんなとき、たまたま、私の住んでいるニューハンプシャー州で、既存の精神保健サービスから切り離された、ピアサポート独自のプログラムに予算がつけらることになりました。それは、何でも好きなことをやってよいというもので、制度の制約を受けることなく、何をしたいかはすべて自分たちで決めることが出来ました。とても幸運なことだったと思います。

 

精神保健サービスを利用していた人たちは、地域では、頼りに出来る友達がいなかったので、ピアサポート・プログラムの場が、専門職との援助関係とは異なる関係の在り方を試してみる場になりました。私たちの多くは、相互的な関係の仕方を忘れてしまっていたからです。

 

こんなエピソードがありました。ピアサポート・プログラムに来ていた人たちの多くは、精神保健サービスの環境に長い間、置かれていた人たちでした。ですから、援助される関係しか知りませんでした。プログラムが始まって、はじめての感謝祭の祭日がきました。感謝祭は、家族や友人が集まって、ご馳走を食べる習慣になっている祭日です。それで、感謝祭の食事会をすることに決めました。ですが、どんな料理を用意しようかという話になったとき、準備はすべて私に任せて、自分たちはただ食べに来たらよいのだと思い込んでいることがわかりました。病院では、いつも、そうだったからです。助けを受ける立場の文化に浸りきっていたのです。

 

私はピアサポートで自分が人の世話をするプログラムをやりたいとは思っていませんでした。私たちは同じ立場なので、それはおかしいと思いました。それで、誰もが何か作るか、何かを持ってくることにしました。精神保健サービスの環境に長くいた人たちは、料理を作るとか、食事会の計画を立てるということを考えたことがなく、私に決めてほしいと思っていました。でも、誰もが食事会に貢献しようと決め、昔、料理人だった人が主に調理を担当し、他の人は何かを持って集まりました。そして、みんなで食事会のテーブルにつきました。それは最も感動的でエネルギーに満ちた食事会になりました。みんなが自分のベストを持ち寄って、その場に貢献したからです。この感謝祭の集まりが、どんなふうなピアサポートをしたいかを示す喩えになりました。

 

このエピソードがよい喩えだと思うのは、各自のベストな面が引き出されて、何かより大きなものを作り出すことに貢献していたことを示しているからです。自分の周りにいる誰もが、自分を助ける立場の人だという、それまでの関係性とは、はっきりとした違いを示しています。誰もがピアサポートを通して学ぶことが期待され、誰もがピアサポートに貢献している。それがテーマになりました。

 

そのテーマを基にして、ピアサポートを教えるプログラムを作ること出来ました。また、クライシスのときに、入院とは違った関わりの在り方をするプログラムも始めました。それは、もっとも調子の悪い時でも、ただ面倒をみてもらうのではなく、そこに来て、そのコミュニティに支えられ、自分の人生やリカバリーの主体的な参加者であり続けることができる場です。

シェリー・ミードIPS講演会 (1/3): イントロダクション【動画】

【2009年12月に東京で行われた、シェリー・ミードさんのインテンショナル(意図的・意識的)ピアサポート(IPS)講演会です。この講演の内容を文字に起こしたものが、 → こちらのページで閲覧できます。】

Twitter ミーティング

下記の要領でTwitterミーティングを開催してみます。

  1. 2012年xx月xx日 xx:xx にこのページに来て、上の動画を再生する。
  2. 動画を見ながら、ハッシュタグ #ipsjp12 をつけて、思ったこと、感じたこと、印象に残った言葉、などなどをツイートする。
  3. 他の人のツイートを見て、つぶやいたり、返信したりする。


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