【この文章の元になった講演の動画は → こちらのページで視聴できます。本文はワークショップの文字おこしの翻訳に若干の修正を加えたものです。】
今がその時です。このような会話をするための基盤は作られました。私の人生において、どのような助けやコミュニティを望んでいるのかについて声をあげ、それを作り出すことが、今ほど重要な意味を持つときはありませんでした。これは私たちの全てが取り組むことです。口にしたことを実践し、やりながら練習し、サービスのなかにも実践を取り入れることがが求められています。ピアサポートの実践の基準を作り、研究のための方法論を構築することも。そうして共通の語りができるようにするためにです。既存のサービスの代替になるものを作り出すのは私たちです。援助とは根本的に異なる関わり方をし、人々が自然なサポートを再び作り始めることが出来るようにするのです。精神保健サービスによって損なわれたコミュニティを再構築するのです。
家族に代々伝わってきているトラウマの経験が与える、深遠で否定的な影響について多くを学ぶにつれ、家族を含む社会システムの多くは、“トラウマによって組織されている”ということが見えてきます。これは、個人にとって、家族にとって、より大きな社会的なグループにとって、繰り返されるトラウマの経験が、その中核となって全体を取り仕切るような経験になっているということです。種としての私たちの発展は、世代をまたがるトラウマによる試練に深く影響を受け、健康であるというのはどのようなことかがわからなくなっています。Bloom, S., (1995). Creating Sanctuary in the School. Journal for a Just and Caring Education I (4): 403-444.
これはサンディ・ブルームという人の論文からの引用です。私が大学院で学んでいたときに出会った人ですが、治療についての反動的な運動に関するすばらしい論文を書いています。彼女は社会精神医学の初期のころの人で、精神医学が人々に及ぼしてきた危険な側面について論じています。このスライドを読み上げることはしません。このスライドが示唆するように、これまで援助の名の下に提供されてきたことは、必ずしも助けになっていないということについて、話を始めたいと思います。援助は関係性に目を向けず、コミュニティを作ることの助けには必ずしもなっていません。
では、どうしたら違った在り方ができるのかを今日みなさんとお話したいと思います。ピアサポートを意図的で焦点の定まったものにするためにです。私たちは、それぞれニーズや望みも違うし、住んでいるところも働いている地域も違います。ですが基本的な考え方に同意して、お互いにサポートすることはできるでしょう。ピアサポートを自分たちのものにし、自分たちの知識にすることです。それは何か一つのモデルを制定しようというのではありません。それは私の関心事ではありません。ピアサポートが全国的に大きな現象となっている今、ピアサポートを際立たせていることは何か、ピアサポートをユニークで独自のものとしているのは何かを考えるときだと思います。そして助けという概念、それが私たちに何を意味しているのかを考え直すことです。
ピアサポートの独自性
- “医学的な解釈”を持ち込まずに、お互いの経験について理解を深める。
- その人の人生に影響を与えている背景の全体について理解を深める。お互いのストーリーが開かれるような聴き方をする。
- 診断や評価するのではなく、お互いの経験の目撃者として、その場に居ること。
- 自分たちにされたことをしているとき、そのことについてチャレンジし合う。
- 問題の本質はどこにあるのかを見極める。
“医学的な解釈”を持ち込まずに、お互いの経験について理解を深める。
まず第一に、ピアサポートは医療の観点からすることではありません。それは私たちのバックグランドではないし、私たちはそのようなトレーニングも受けていません。おそらく私たちの関心事ではありません。
その人の人生に影響を与えている背景の全体について理解を深める。お互いのストーリーが開かれるような聴き方をする。
医学的観点を持ち込まないことで、人々の生きる在り方の全般にわたる文脈への理解を深めることが出来るでしょう。どのようにして、ある考え方をするようになったのかに思いをめぐらせます。単に文化や性別だけではなく、経験を意味づけの仕方に影響を与えている全ての側面に目を向けます。私たちは自分が語るストーリーによって、自分にとっての現実を作り出します。自分に言い聞かせているのです。そう思いませんか?いろいろなストーリーを聴き、ストーリーを広げ、ストーリーを進化させるように、お互いの話を聴きます。共通の特性があるわけではありません。違った聴き方をすることでお互いの助けとなることが大切なのです。それは語られていないストーリーが開かれ、経験の本質に迫るような聴き方です。どのようにして、そう思うようになったのか、そのような意味づけの仕方をするようになったのかが現れてくるような聴き方です。
診断や評価するのではなく、お互いの経験の目撃者として、その場に居ること。
3つ目の点は、簡単そうに聞こえるけれど、実践するのはとても難しいことです。これまでピアサポートでは、お互いのストーリーを聴くことについて、審判を下さないこと、人のために物事を決めないなど、よい働きをしてきたと思います。ピアの運動は自己決定、各自の選択を尊重するという点で功績がありました。ですが、難しい状況になると、ピアプログラムの人たちの間でも、お互いを診断評価するダンスが始まることに気がつきました。「薬はちゃんと飲んでるの?」というような会話をピアセンターで耳にします。こういう会話がなされるのは、私たちがおびえを感じるときです。これについては後ほど話をしたいと思います。相手の人のストーリーの目撃者となり、語られていないストーリーが開かれるような聴き方をすること、そして、人のことを直そうととせず、ただその場に一緒に居ることは、たやすいことではありません。
自分たちにされたことをしているとき、そのことについてチャレンジし合う。
直そうとせず、問題解決志向に入りこんでいないかを意識した関わり方をしていると、お互いに挑むことができます。ピアサポートの知識を構築して、助けについて新たな在り方の経験を積み重ねることで、「薬を飲みなさいと言われると、ピアの関係でないように思えるのだけれど。権威的に聞こえて診断評価されているように感じるんだ。」ということをお互いに伝えることができるようになるでしょう。
問題の本質はどこにあるのかを見極める
最後に、人を問題としてみるということ、問題を持った人としてみることについてです。精神保健の会話は、全て問題に関することで問題にだけ焦点があたっています。「問題にどう対処している?」「問題をどう取り扱っている?」「あなたの問題はどんなこと?」という問題の会話に飽き飽きしてませんか?結局のところ、問題はその人ではなく、その人の置かれている文脈や、その人がどのような経験をしてきたかということに関わっていると思います。私たちがサポートをしあう、その仕方にあるのだと。私たちが、自分はどんな人だと思い、どのように世界と関わるようになったのか、それを形作る出来事に関心を寄せるべきだと思います。 率直なところ、個人を問題と観るのではなく、問題を文脈から捉えたとしたら、このような精神医療サービスは要らなくなり、診療報酬を決めて、保険会社が誰がいつどのようなサービスが必要かを定める必要はなくなるでしょう。