【以下の文章は、シェリー・ミード氏が2009年12月に東京の上智大学で行ったIPS講演の書き起こしに、若干の加筆修正をしたものです。この文章の元になった講演の動画は → こちらのページで視聴できます。】
話を始める前にまず、責任放棄宣言をしておきます。(パーキンソン病のために飲んでいる)薬の影響で、頭が上下に動いて、うなずいているように見えるのですが、必ずしも、みなさんがおっしゃっていることに同意しているわけではありません。
私が精神保健の領域でピアサポートを始めた理由の一つは、自分が最も大変な時期を過ごしているときに、ピアサポートのようなものが何もなかったからです。そのため、私は、援助職関係者に囲まれたコミュニティで生きるようになり、そこでは、私のことを治したり、助けようとする人との関係ばかりだと感じていました。そうして、通常の社会の一員として、人と関わる力を失ってしまいました。私は、家庭内の暴力の被害を受けた女性たちのサポートグループに関わっていた経験があるのですが、そこではみんながお互いをサポートし合い、ピア主体の運動になっていました。でも、精神保健の領域では、そういうものがありませんでした。あるとしても、人が集まって、自分たちの生活上の困難や病気のことばかりを話している、というものでした。
そんなとき、たまたま、私の住んでいるニューハンプシャー州で、既存の精神保健サービスから切り離された、ピアサポート独自のプログラムに予算がつけらることになりました。それは、何でも好きなことをやってよいというもので、制度の制約を受けることなく、何をしたいかはすべて自分たちで決めることが出来ました。とても幸運なことだったと思います。
精神保健サービスを利用していた人たちは、地域では、頼りに出来る友達がいなかったので、ピアサポート・プログラムの場が、専門職との援助関係とは異なる関係の在り方を試してみる場になりました。私たちの多くは、相互的な関係の仕方を忘れてしまっていたからです。
こんなエピソードがありました。ピアサポート・プログラムに来ていた人たちの多くは、精神保健サービスの環境に長い間、置かれていた人たちでした。ですから、援助される関係しか知りませんでした。プログラムが始まって、はじめての感謝祭の祭日がきました。感謝祭は、家族や友人が集まって、ご馳走を食べる習慣になっている祭日です。それで、感謝祭の食事会をすることに決めました。ですが、どんな料理を用意しようかという話になったとき、準備はすべて私に任せて、自分たちはただ食べに来たらよいのだと思い込んでいることがわかりました。病院では、いつも、そうだったからです。助けを受ける立場の文化に浸りきっていたのです。
私はピアサポートで自分が人の世話をするプログラムをやりたいとは思っていませんでした。私たちは同じ立場なので、それはおかしいと思いました。それで、誰もが何か作るか、何かを持ってくることにしました。精神保健サービスの環境に長くいた人たちは、料理を作るとか、食事会の計画を立てるということを考えたことがなく、私に決めてほしいと思っていました。でも、誰もが食事会に貢献しようと決め、昔、料理人だった人が主に調理を担当し、他の人は何かを持って集まりました。そして、みんなで食事会のテーブルにつきました。それは最も感動的でエネルギーに満ちた食事会になりました。みんなが自分のベストを持ち寄って、その場に貢献したからです。この感謝祭の集まりが、どんなふうなピアサポートをしたいかを示す喩えになりました。
このエピソードがよい喩えだと思うのは、各自のベストな面が引き出されて、何かより大きなものを作り出すことに貢献していたことを示しているからです。自分の周りにいる誰もが、自分を助ける立場の人だという、それまでの関係性とは、はっきりとした違いを示しています。誰もがピアサポートを通して学ぶことが期待され、誰もがピアサポートに貢献している。それがテーマになりました。
そのテーマを基にして、ピアサポートを教えるプログラムを作ること出来ました。また、クライシスのときに、入院とは違った関わりの在り方をするプログラムも始めました。それは、もっとも調子の悪い時でも、ただ面倒をみてもらうのではなく、そこに来て、そのコミュニティに支えられ、自分の人生やリカバリーの主体的な参加者であり続けることができる場です。