つながり

 人と話をしていて、『この人はわかってくれている』『この人にはわかってもらえる』と感じたことがありますか?

 例えば、同じような経験をしてきた人同士の分かり合える感じです。それは体験しなければわからない気持ちや、物事の見え方を共有しているからなのかもしれません。あるいは、同じような経験を共有していなくても、あなたの経験や感じていることを、相手の人が純粋な興味をもって、あなたにとってどうなのかを理解したいという思いから、聴いてくれているときでしょうか。もしくは、あなたが感じている気持ちを、相手の人が感じとり、受け止め、共感を示してくれたとき……。うわべだけの共感の言葉ではなく、心から発せられたものとして。

 この感覚が、IPSで私たちが“つながり”と呼んでいる感覚です。

 そしてこの、つながりの感覚には関係における安心感や信頼感も含まれてきます。攻撃されない、批判されない、評価されない。感じていることや経験をそのままに認め受け止めてもらえる。偽らず誠実に向き合ってくれている。その人の関心は今ここにいる自分に向けられている。この場に意識を集中させていてくれる。そのように感じたとき、関係における安心感・信頼感が得られるのだと思います。そして、人に心を開くこと(つながり)ができるのではないでしょうか。お互いに安心と信頼を感じ、心を開くことができれば、関係はゆとりのある壊れにくいものになっているでしょう。

 しかし、つながりの感覚は長続きしないことがよくあります。そのために努力し、つながりのあるときと、つながりのないときに気がつき、つながりを築くために努力をすることが求められます。例えば、次のようなやり取りでは、つながりの感覚が得られるかどうか、想像してみてください。

(その1)

花子さん: 最近、あんまり眠れなくてさあ。12時に寝ても5時ごろ目が覚めてしまうのよ。
太郎さん: それだったら、まだ、いいじゃない。5時間は寝ているんでしょ。私なんか、このところ3時間くらいしか眠れてないよ。

(その2)

花子さん: 最近、あんまり眠れなくてさあ。12時に寝ても5時ごろ目が覚めてしまうのよ。
太郎さん: そうなんだ。それじゃあ、日中、眠くて大変だよね。心配事でもあるの? 大丈夫? つらくない?

(その3)

花子さん: 最近、あんまり眠れなくてさあ。12時に寝ても5時ごろ目が覚めてしまうのよ。
太郎さん:早起きでいいじゃない。だったら、散歩とかジョギングしたら?

 上のような太郎さんの発言に、花子さんは、どう感じるでしょうか? このように、「自分のほうがつらい体験をしている」 というような応答や、同情のしすぎ、あるいはアドバイスを与えることは、つながりを断つことになりかねません。その他にも、議論したり説得しようとすること、表面上の同意や称賛、状況を解釈したり分析することなども、つながりを断つものかもしれません。

 また、つながりを失っているとき、私たちは、相手の人に判断・批判を下していることがあります。例えば、「あの人は私のことを怒っているに違いない」というように。また逆に、相手の人の発言に対して、「あんなことを言うなんて信じられない」と思っているようなときも同様です。再びつながりの感覚を取り戻すためには、それが起きた文脈において、状況を理解しようとすることが必要です。例えば、「あの人は、それをどういう意味で言ったのだろう?」と思いを巡らせ、尋ねてみることで、つながりを取り戻す会話にすることができるかもしれません。

 つながりが切れた直後に、それを回復させることは難しいことがあります。傷つけられたと感じたり、相手にされなかったり、誤解されたり、他のことに気をとられていたときなどです。けれども、つながりの感覚を取り戻すための方法がいくつかあります。例えば、次のように言ってみたら、会話はどのようになるでしょうか?

  • 今、つながりが切れたみたいだったね
    (何が起きたのかを口に出して言う)
  • ごめんなさい。今、ちゃんと話を聞いていなかったような気がする
    (何が起きたのかに気づき、その状況における自分の働きについて謝る)
  • 私の言ったことで何か気に障ることがありましたか?
    (何が起きたのかについて、相手の人に尋ねる)

 つながりのないところでは、学びを促すような会話は望めないでしょう。IPSでは、経験を共有することがもたらしてくれるつながりの感覚を重視しながら、しかし、経験の共有だけに頼らず、つながりを築く努力をします。つまり、相手の人の感じていることを感じ取り受け止め、安心と信頼の感覚をもたらすような会話にのぞむ心の構えと、話の聴き方の実践を課題にしています。

 

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