パーソナル・ストーリー 2/8

…1 からの続きです

 家に戻ってからは、音楽バンド活動に没頭します。私はミュージシャンです。生きている中で、音楽が唯一、自分をありのままに、確かなものに感じさせてくれるものです。精神病院に入院していたことをバンド仲間の誰にも話すつもりはありません。けれども、心の中では、私は自分がクレイジーだと知っています。私は自分の激しさをすべて音楽に投入し、奇妙な経験と感情を、演奏に注ぎ込もうとします。もう二度と入院したくありません。他のギター演奏者が、私の感情の激しさを、なんとなく理解しているようです。私たちは、音楽を通して語り合います。本当の『対話』の力が見え始めます。誰もが同時に心から語り、全く新しいものを作り出します。たとえそれが幻のようなものであっても。そこには、特別なつながりが生まれています。あたかも、私たちの本来の言語は音楽であり、音楽を通して、私たちはお互いの意味することを理解し合えているかのようです。

 音楽に没頭することで、私は感情の面には対処しています。ですが、自分の経験を理解しようとし、私はまだ、自分の考えに苦しめられています。私の思考が変わらないのです。大学に入り、自分の感情や経験が真に意味することを理解しようと苦しんでいるのは、私だけではなかったことがわかります。私たちはみな、“現実”とは何かということに興味を持っています。物事の本質を知ろうと、私は、現象学を学びます。「真実というものは存在するのか?それともすべては、相対的で、作られたものなのだろうか?」私は、意味がどのようにして形成されるのかに関心があります。物事はどのように定義されるのか。有意義な会話はしているのですが、心の中ではまだ、自分は間違っている・クレイジーだ・変わっていると思っています。音楽だけが、私にとって信頼の置ける唯一の言語だと確信します。

 このように頭と心を行ったりきたりすることで、しばらくは、うまくいっていました。離婚をくぐりぬけ、3人の子どもを一人で育て、地元の寄宿制の学校でパートタイムの仕事をし、経済的な困窮に陥るまでは。私はその学校で、音楽を教えているのですが、音楽学校で学んだ経験は短すぎるので、自分のことを、にせものの音楽教師だと思っています。でも、10代の若者たちのエネルギーが大好きで、自分たちの激しさや考えをクレイジーだと思わないでいてほしいと願います。ある夏、生徒たちのバンドのメンバーの一人が交通事故で亡くなるという悲しい出来事がおきます。学校は、悲劇的な経験をした人のためのカウンセラーを雇って、生徒たちに“助け”を提供しようとします。私は、バンド仲間を集めて、語り合います。そして、その夏、亡くなった若い友人のために曲をつくり、新学期の始めに演奏することにします。その音楽は、私たちの悲しみの表現であるだけでなく、私たちを結ぶ絆となり、その絆を通して、私たちの痛みは転換されます。

 夏が終わり、生徒たちは卒業し、私は何か他のことをしなければならない岐路に立たされています。ソーシャルワークの学校で、音楽を通して10代の若者たちと関わる方法を学べるかもしれないと思います。音楽部で私が関わった生徒たちの多くは、教師らの集まりでは、“問題児”として語られている生徒たちでした。他の教師たちは、彼らは大学に行く資質がないとみなし、彼らにカウンセリングを受けるように勧めます。私が沈黙させられたのと同じように、彼らを黙らせるのではなく、彼らの声が生み出され築きあげられるような、新たな機会を作ることが出来る、という希望が私にはあります。

 学業は大変です。頭を使うのは好きなのですが、恥のメッセージを長い間、閉じ込めていた壁が、再び、ひび割れし始めます。必死になって学校にとどまろうとし、二度と入院する羽目にはならないようにと誓います。しかし、私は、人々を怖がらせるようなことをしています。スピードをゆるめることができません。眠れず、学校を続けながら、鎖とおもりをつけて走っているような感じです。「そんふうにしなくてもいいんだよ」と言い続けてくれる人がいます。でも、私は、完全に収拾がつかなくなっています。入院以外に方法がなく、おびえています。自分を病気だとみなすようなことにはならないだろうと思います―私は学問をする人で、ミュージシャンなのだと。しかし、精神病院の入り口の鍵がかかり、私は、またそこにもどってきています。

… 3 に続きます。

文 – シェリー・ミード
訳 – 久野恵理