パーソナル・ストーリー 5/8

…4 からの続きです

 しばらくして、私は、音楽をコミュニケーションの手段として、トラウマのサバイバーと関わる仕事をします。それは治療ではなく、社会運動だと考えています。作品を録音することにします。ある日私たちは、不思議な、すばらしいことに気がつきます。それまで、どうして気がつかなかったのだろう。でも、今は、私たちのみんなが気づいています。私たちは音楽の力に気づいています。そして、音楽の力を通して、私たちは、自分たちの力に気づきます。音楽を通して、私たちには何が達成でき、何を表現できるのかを知ります。音楽で表現されていること、つまり、物事の核心に切り込む痛切な思い、意味、リズム、メロディーによって、精神病患者とみなされた自分たちとは、全く違ったものを表現していることに気づきます。その違い(不協和)は、驚くべきものです。そのとき、私は何かがわかった気がします。それは私のことなのです。これが重要なのだということをつかんでいます。私には、自分がそれをつかんだことがわかっています。

 私には選択がある、ということです。

 私には、自分を精神病患者とみなし、その役の通りに生きるという選択があります。あるいは、私の音楽が私に示しているように、自分の力を自分のものとし、それを生きるという選択もあることを知っています。自分自身についての、その二つのストーリーの間には、広大な狭間があることは避けられません。そして、私は、選択する責任から逃れられないことを知っています。そして、私には自分が何を選ぶだろうかがわかっています。

 家庭内暴力センターでの実務研修が終わってからも、私は関わりを続けます。物語(ストーリー)は再定義されうるというアイデアを生かす方法を探すことにします。私のように、自分が選択したわけではないのに、精神病のストーリーのなかに閉じ込められてきた人たちが他にもいることは間違いないと思っています。トラウマのサバイバー・バンドとの経験が示しているような方向で、対話を通して、自分たちと自分たちの経験を再定義することが出来るかどうか、試してみようと考えています。

 私は問い合わせを始めます。“ピアサポートプログラム”と呼ばれるものの開発に、州政府が関心を持っているらしいと知り、州政府の当事者部門の部長と会い、家庭内暴力センターでの女性たちとの経験について話します。私はその部長に、どのようにして虐待のストーリーが見失われてしまうのか、そして、虐待の経験があるために精神保健機関に助けを求めに来た人が、精神病の診断名と薬の包みを渡されて帰っていくことになっている、という話をします。そうして、精神科の介入がますます増えて、地域の関わりが少なくなっているのだと話します。精神科のサービスがサバイバーを患者に仕立てているという私の確信を打ち明けます。

 「この状況に閉じ込められた人たちのために、何か資源がないでしょうか?」と部長に尋ねます。驚いたことに、ピアサポートのプログラムを始めるための資金があるという答えが返ってきます。ピアサポートとは、同じような状況におかれている人の支えになりたいと思っている、精神保健サービスの利用者によって提供されるサポートだということです。AA(アルコール・アノニマス)のようなものだと。部長は、従来のサービスの代替となるプログラムを始めるために、十分な関心が寄せられるだろう言います。

 私は、「それは、すばらしい!」と言います。

 それからまもなくして、私は、このプロジェクトの責任者の仕事に就きます。私には二つの使命があります。

 1.人々が精神病院に入院しないようにすること

 2.過去に暴力を受けた経験を持つ女性が、彼女らの経験を病気とみなさないようにするための関わりを続けること

 このとき、私はドロップ・イン(いつでも立ち寄れる)センターというものを知ります。これらは、自らを精神病患者であると思うようになった、あるいは人からそう呼ばれてきた人たちが、スタッフの監督のもとに、日中の時間を過ごす場所だとわかります。そのプログラムは、ビリヤードの台とコーヒーメーカーのある部屋で行われています。ドロップ・イン・センターは、精神病を持つ人たちが、地域での意味のある交流を取り戻す方法として、革新的なプログラムだと考えられていました。けれども私には、それが病院に比べ、それほどましだとは思えません。

 私は、ドロップ・イン・センターに行き、そこのメンバーと夕食をとりながら、新しいプログラムの開発に興味があるかどうか聞いてみます。薬のためにもやがかかり、そのもやの奥にかすかに見られる、やる気のようなものにたどり着くまでに、しばらく時間がかかります。それでも、何人かが協力すると言います。

… 6 に続きます。

文 – シェリー・ミード
訳 – 久野恵理

パーソナル・ストーリー 6/8

…5 からの続きです

 いい感じです。希望が持てる。どこかに向かえるかもしれない。これが本当の変化につながる。

 そして、協力してくれると言ったメンバーたちに、彼らは、どんなことを思い描いているかを聞きます。そして、私はまた、目が開かれる体験をします。私は、こんなふうな答えを期待しています。「一緒に取り組みたいことは、よりより住居、教育と仕事の機会をふやすこと、敬意を得ること、差別をなくすこと、子ども扱いを終わらせること。」しかし、その代わり、次のような返事が返ってきました。「海岸に連れて行って欲しい。料理を作って欲しい。」

 これをして欲しい、して欲しい、して欲しい。私はあっけにとられます。「どうして、こんなふうになってしまっているのか?」私は、私たちのストーリーに再び引き戻されます。まずは、私のストーリーを思い出します。そして、私がどのようなストーリーの中にいたのかを思い出しながら、論理と直感を働かせ、彼らが、その中に入っていると思われるストーリーを想像します。「こんなふうな依存が生じているのは、どうしたわけなのだろう?」「この依存はどこからきているのか?」「これから、私たちはどう進めばいいのか?」3人の子どもを育ててきた私としては、大の大人たちを海岸につれて行くなんて、とんでもない話です。

 私は、しばらく、自分を振り返ってよく考えてみます。そうして、私たちはこのように学ばされてきたのだと気がつきます。これは、良い精神病患者としての役割の一つです。私たちは能力がない、なので、助けを受ける側です。支援者は能力がある、なので、助けを与える側です。それが社会の暗黙の契約です。一方通行のサービス関係は、不能者という終わりのない役割に、私たちを縛り付けます。私たちは助けを与えることは決して許されません。助けを受けるのみです。

 それに気づいて初めて、私たちは、本当の自分について語り始めました。“薬のためにもやがかかり、無能で何も出来ないと思っている、肩の止まり木から、助けて助けてとわめきたてるオウム”のような今の私たちではなく、医者、病院、レッテル、診断名、薬によって作り変えられる以前の私たちについてです。夢があり、家族をもち、才能があり、何か意味のある関係、お互いにとって意味のある関係を持っている人たちです。

 新しいプロジェクトに参加しているメンバーたちに、私はロックバンドのリード・ギタリストだったことがあると話します。彼らは笑います。でも、それが、違った会話に火をつけたようです。いろんなことがわかってきます。ある人は、地学を勉強し、岩石の 成り立ちに詳しいこと。ある人は、軍隊にいて、世界中を旅したこと。ある女性は緊急治療室のナースだったこと。

 私たちは、これまで忘れるように学ばされてきた、自分の一部を取り戻し始めます。無能で何も出来ない、治癒の見込みのない精神病患者という割り当てられた役割を演じることで、社会に適応しているうちに、失い、忘れてしまっていた私たちの一部です。

… 7 に続きます。

文 – シェリー・ミード
訳 – 久野恵理

パーソナル・ストーリー 7/8

…6 からの続きです

 私たちは、時間をかけて、新しいプログラムを組み立て始めます。ちょうど感謝祭のときです。入院せずに感謝祭を過ごすのは、私にとっては、数年ぶりのことです。そこで、みんなで料理を持ち寄る、感謝祭の夕食会をすることにします。それは、ちょっとした、しくじりでした。というのは、私たちの多くは、電子レンジでしか料理をしたことがなかったからです。私たちは、自分は“危なっかしい”ので、常に監視が必要だと信じ込まされています。しかし、やがて誰もが、みんなにいい格好をみせたいと、自分も何かを持ってくる、何かを作ると言います。それで、大きな七面鳥が一羽、私が作ったサラダ、電子レンジでできる七面鳥ローストの詰め物が13箱集まります。

 これは、私たちの誰にとっても、長い間でもっとも楽しい時間になります。症状とは関係ない話を沢山し、新たなエネルギーを見出します。昔“ソロジン(精神薬)のせいで足を引きずって”いたことと比べたら、大きな違いです。私たちは、自分で思っていたほど“病気”ではなかったことに気づき始めます。実際のところ、私たちが症状だと理解していたことの多くは、居心地の悪くなる状況への反応に過ぎなかったということに気づき始めます。

 この時点から、私たちは、かなり違った会話をし始めます。問いかけは、それほど用心深くなくなり、より大胆な、とんでもないものにさえなっています。「自分の思うような人生を生きることが出来るだろうか?」「精神病患者以外に何かをやれるだろうか?」「自分たちのサポートネットワークを始めようか?」「病院システムをそっくり取り替えようか?」

 私たちは、ピアサポートの文献のいくつかで、リカバリーという言葉を目にするようになり、興味を持ちます。そして、ワクワクし、元気づけられます。やがて、私たちのケアマネジャーやドクターに、お金を払って得る“友達”ではなく本当の友達を、私たちのために人が決めたことではなく、選択を、そして、最も大切なことに、希望がほしいのだと伝え始めます。

 しばらくして、おびえを感じたり、かなり落ち込んだときに、緊急サービスではなく、お互いを頼るようになります。友達に話を聞いてもらうほうが、自分の身の安全について質問されるより、はるかにいいのです。自信がつくにつれ、私たちは、自分たちで、精神病院にかわるクライシス代替プログラムを始めることにします。現状維持からの大きな転換です。患者がアサイラム(魂を癒す場)を運営する!

 私たちが始めたクライシス代替プログラムでは、入院になりそうだと心配なときにやってきて、お互いを診断評価するのではなく、ただ、話を聞きます。入院させられる心配がないので、死にたいという気持ちについても自由に話せるし、私たちの多くは、一度や二度は、そんなふうな気持ちになったことがあるということがわかります。

 ある青年が、私たちのクライシス代替プログラムを利用したいといって、やってきます。声が聞こえていて、怖がっています。以前に、彼は、何度も長期の入院を経験しています。仕事をなくし、かなりの量の薬を投薬されてきました。彼はすべての人、すべて物から、自分が切り離されているように感じています。彼は、自分に起きていることをわかりたいだけなのだと言います。そして、彼はやってきて、ただ、話をします。4日間、眠らずに話し、自分がくぐりぬけてきたことを説明し、それを聞いた人が、それぞれどう思うかを話し、お互いの経験を比べ、そして、彼は眠りにつきます。物忘れを引き起こす薬を飲まされる3ヶ月の代わりに、彼は、自分が生きていて意識が目覚めていると感じることのできる会話に満ちた一週間を過ごします。これから先、頼りにできる友達ができます。彼は、生態学的心理学の修士学コースのために、自分の経験について、まとめようと決心します。

… 8 に続きます。

文 – シェリー・ミード
訳 – 久野恵理

パーソナル・ストーリー 8/8

…7 からの続きです

 医療関係者は誰も、この話を信じません。私たちは間違っているに違いない。“本当に精神病的”な人とだったら、そんな結果が得られるはずがないと言われます。

 私たちは医療関係者の言うことを無視し、続けます。自分たちが一緒にやっていることの力を知っています。自分の人生において、それを目の当たりにし、経験しています。

 つぎつぎと困難に立ち向かいます。困難な経験を解決の手立てに転換します。何が役に立ち、何が役に立たないかについて、いつわりのない対話を重ねます。

 私たちは、新しいグループをはじめ、新しいやり方を試し、古いストーリーを再検証し、新しいストーリーを試してみます。トラウマの経験を持つメンバーは、話し合い療法は役に立たないと言います。そこに参加すると、行く前より帰るときのほうが気分が悪くなっている。しかも、そのためにお金を払ってまでして。問題は、ひどいストーリーを詳しく話すように強制されることだと、そのメンバーたちは考えています。“虐待の経験に対処する”治療目的という名のもとに、サバイバーが次から次に、虐待の経験を詳しく語るのです。

 それで、私たちは新しいグループを始めます。音楽が関係しています。音楽をコミュニケーションの手段として使うのです。そして、ひどい体験談を語るかわりに、音楽を通して、自分たちの声を発見し、それをお互いに重ね合わせることで、自分たちが作り出すもののエネルギーとパワーを感じます。

 従来、疎外され、声を奪われ、閉じ込められてきた人たちの文化に、これほどの変化をもたらしているのは、一体、何なのでしょうか?これは極めて単純なことだと、私は気づきます。私たちは、違ったやり方で、交流しているのです。問題や欠陥で自分たちを定義して、その定義のなかで、会話をしたり、お互いについての話しをするのではなく、自分たちの力と可能性を通してコミュニケーションをしているのです。

 新たな前提と信念をもってやり続け、私たちは、自分にとっての新しい現実をつくりだします。私たちはコミュニティを創ります。私たちは、自分たちの身におきた秘密にチャレンジします。語り、発見し、新しい行動に導く会話を通して、変化をもたらします。

 これは、宇宙にロケットを飛ばすような複雑なことではありません。ですが、私たちが思い込まされてきたことと違っていることは確かです。私たちは、古い思い込みにチャレンジすることで、新しい結果を導き出すようになってきています。これは幸運なことに、私たちの努力の過程であると同時に成果なのです。

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