シェリー・ミードIPSワークショップ: 質問に応えながら【文字起こし】

【この文章の元になった講演の動画は → こちらのページで視聴できます。本文はワークショップの文字おこしの翻訳に若干の修正を加えたものです。】

 

<質問:サポートグループに来て、自分は神の預言者だという幻想を語る人がいるのですが、その話に乗るべきか、それとも、それは現実ではないと伝えるべきでしょうか?>

 

その質問自体が、違った分析から出てくるものです。わかりますか?それは私たちの任務ではないというのが私の考えです。私たちのすべきことは、あなたが経験しているままに、その人とやり取りをしながら、ストーリーの目撃者であることです。

 

<質問:ということは相手の話に乗るということ?>

 

そういう話ではなくて、もしそれがあなたの経験していることではなかったとしたら、あなたがすることは、その人が語っていないことを聴くこと、そのストーリーの背後のストーリーを聴くこと、その人の話の中につながりを感じられる糸口を見出すことです。そうして、お互いが経験していることを語り合い、あなたとの関係やサポートグループの中で、お互いにとってうまくいくようにするには、行動や関係の在り方の面で、どんなふうにできるかを一緒に見つけることです。

 

<質問:あなたが話してきたことは、成熟した人同士の関係のように思えました。私のプログラムには症状のままに行動する人がいて、私は居心地悪く感じ、自分の境界線を守ることしかできません。症状に動かされて行動している人がそこから抜け出せるようにするために、どのような手助けができると思いますか?>

 

それは私たちの誰もが経験してきたことです。新たなストーリーを語るのは簡単に出来ることではありません。みなさんは古いストーリーに閉じ込められていた経験はありませんか?みんなそうだったでしょ?正直になりましょう、みんなそうだったと思います。新たなストーリーを語るようになるまでには時間がかかります。そのためには信頼できる関係であることが必要で、また、事前に取り組むことが大事だと思います。

 

ピアサポートは医学的見地とは異なる理解の仕方を提供する

  •  どんなふうにして、精神病患者としての見方に閉じ込められるようになったのかを考える手助けをする。
  •  自分の知っていることをどのようにして知るようになったのかを問い直す手助けをする。
  •  感情や反応を症状として扱わない。
  •  病気・問題としてみることを前提としない。

 

ピアサポートには意図があり、そのまず第一は、自分の知っていることを知るようになったやり方を学びなおすように、お互いに助け合うことです。それができていなければ困ったことだと思います。

 

次は感情を症状だと考える必要はないということです。みなさんに聞いてみたいのですが、大きな感情と症状の違いは何だと思いますか?あなたの経験からは、何が違うと思いますか?

 

<会場からの発言:感情は誰もが持っていることだけれど、症状は誰にでもあるわけではない。症状があると病気>

 

他には?

 

<会場からの発言:何も違わない。>

 

いろいろな意見がありますね。

 

<会場からの発言:感情は自分が持っているもの。症状は外側から名づけられたもの。>
<会場からの発言:感情は自然な気持ちの動き。症状はそれに影響を与えるもの。>

 

このことは後で再び取りあげたいと思います。もし医学的見地から話をしないのであれば、症状の言葉で話すことは出来ません。かみ合わなくなるからです。

 

<質問:どうしたら、成熟した関係性をつくることができるか?>

 

昔の在り方や知り方に逆戻りする人とは、事前に取り組むことというか、学びを促す要素がとても役に立ちました。ある見方をしているとき、自分の経験から一歩引いてみることです。その渦中にいないときには、「そうなるのは自分ではどうしようもない、自分にはコントロールできない。」ということは難しくなるからです。自分はそうなってしまうのだということを前提としない環境をつくることです。その中で、自分のことを振り返る意識を高める環境です。

 

”助け”は双方向に行き来する

  • スタッフとしての役割は、ピアサポートの関係性を作ること。サービスの提供ではない。
  • 学びの環境をつくる関係に両者が取り組むことが、”助け”であると定義しなおす。
  • お互いにサポートする。
  • 敬意を示した仕方でお互いにチャレンジする。
  • お互いのストーリーの目撃者となる。

では、助けをどのように定義しなおすかについてです。「私はあなたを援助するためにここにいます。」「あなたはサポートが必要な問題を持っている人です。」ということを前提にしません。助けについて見直し、助けの関係ではなく、どちらもが力を注ぐ人としての関係性にすることです。

 

お互いの責任

  • どちらもが自分の感じていること、必要としていることを伝える。
  • どちらもが自分の感情に責任を持つ。
  • 関係において困難が生じたとき、それについて、やり取り(交渉)する。
  • 安全・安心について、どちらもが責任を担う。
  • 関係性が意図的であることに、どちらもが責任を担う。
  • 自分を振り返り、学び、成長するように刺激しあい、支えあうことに、どちらもが責任を担う。

 

ピアサポートでは助けは双方向であること、お互いに責任を担う関係だとお話してきました。よく見過ごされている大事なことがあります。それは治療モデルによって作り出された問題の一つで、援助を受ける側の人々はお返しをしないということです。人々は自分に価値があると感じられないこと、自分が相手の人の助けになるとは思えないことです。役割が伴う場合については、後ほどお話します。サポートをするのが役割となると、報酬に関すること、責任に関すること、相手から助けを受けることへの倫理上の問題に関することなどが議論になるからです。実際のところ、関係性が変わって助けが双方向に行き来し、お互いにチャレンジするようでなければ、「私があなたの助けになる」というのではなく、お互いが成長することに焦点をあてなければ、私のリカバリーのためにあなたが何をしてくれようと何も変わらないでしょう。私は価値のない利用者の役割のままです。このことがもっとも重要で、まぎらわしく、しかし、大切なところだと考えています。

 

ピアサポートを通して、私たちのものの見方、知り方を変え、本当のコミュニティを創出する機会が生まれる。

 

ピアサポートと呼ばれる何かを政治的に利用することはできるでしょう。著しく権利を奪われ、いろんなことを言われてきた人たちとともに、ピアサポートを発展させる機会を手にしています。これは単に精神保健に限られてはいません。これは私たちのものの見方、知り方の変革です。ピアサポートという名のもとで、何かユニークで際立ったことをするチャンスだと思います。私たちの実践に合致する言葉をみつけ、私たちの価値に本当に見合うやり方と原則を明らかにし、ピアサポートの構造、形を使って、より大きな議題を押し進めるチャンスだと思います。

 

ピアサポートには意図があります。それは単なる友達関係にはない意図です。意図的ではない普段の会話とは異なります。人々は場所、構造、環境、コミュニティを必要としていて、そこで十分な安心が感じられ、自分の知っていることから一歩引いてみて、それにチャレンジすることができます。その中で人々が古いストーリーから抜け出すことができるような容器に私たちがなるのです。それを構築し、そこから自分たちの望むことへと向かうことが出来ます。

 

<質問:人種や階層、性別ということすべてがピアサポートに関係してくるとしたら、ピアって何なのでしょうか?ピアであることも一つの要素になりますか?それと、ここで学んでいるようなことを専門職にも教える必要があると思いますか?>

 

すべてのことが関係しています。何が要素にならないかではありませ。医学的な見地による狭い見方とは違って、全てのことを考慮します。

 

専門職に教える必要があるかということについてですが、まず、私たちがコミュニティとして、自分たちのしていることを確立する必要があると思います。これは私がずっと言い続けていることですが、自分たちの任務が何かがまだ明確ではありません。任務がはっきりし、それを定義し、基準をつくって、そうしたら専門職に教えることが出来るでしょう。そうすることで、彼らがこれをうまくサポートできるように。それが私の立ち位置です。彼らがそれを受け入れるかどうかは・・・。率直なところ、私は既存のシステムを変えることにはあまり興味がありません。それより、代替的なシステムを作ることに興味があります。まず、別個のものを作って、それから、お互いに学ぶことができるでしょう。どちらもが成長するように。

 

<質問:文化や人種や社会階層のことも考慮する必要があると、言っていましたか?>

 

そうすることで人が置かれている文脈から、どうしてそう思うようになったのかを考えることが出来ます。その人の背景、文化、人種、経済的階層、トラウマの歴史など、幅広い関心をもって話を聴き、深い理解を得るように努力します。どのように物事が見えていて、どういう経緯があってそう思うようになったのか、それをわかろうとして聴くことに、力を注ぐということです。

 

<質問:トラウマの影響を考慮したという表現をするのは、これは一人ひとりの違いを考慮した関係をつくるということだからなのですね。>

 

それに加えて、私がトラウマの影響を考慮する枠組みにひかれたのは、そう呼び続けるつもりはないのですが、トラウマの影響を考慮することで、人々が置かれてきた文脈に意識を向けることが出来るからです。そして、それについて、何か働きかけること。それに反応、その影響に反応するのではなくて。つまり、社会変革こそ、私たちが焦点をあてるべきことだと考えています。

 

ピアプログラム、ピアの関係、ピアグループなど、どのような構造であれ、みんながお互いのことを良く思って仲良くやっているうちは、物事が順調にスムーズに運びます。しかし何か居心地の悪くなるようなことが起きると、それを学びの機会とするのではなく、居心地の悪さを問題として扱い始めます。ここが興味深いところですが、それで診断評価に逆戻りします。みなさんはどうですか?

 

いろいろなレベルで繰り返し目にすることは、自分のなかでも衝突はうまく扱われないし、一対一の関係でも衝突はうまく扱われないし、システムのレベルでも衝突はうまく扱われません。ピアの関係性では、人々がこれまでの環境で学んだ役を再演することがあります。衝突があると昔の役を演じるようになるのです。衝突が起きると、誰かがいつも姿を消すこと、その場からいなくなること、あるいは、攻撃的になる、犠牲者の役、仲裁者の役を演じるということはありませんでしたか?それに気づいたことがありますか?驚くことではありませんが、衝突のあるような状況では自分が慣れ親しんだ役に陥ります。ですが、それについて話すことはありません。私たちは症状を管理しようとするのと同じように、それを管理しようとします。それで、グループをやめてもらったり、ルールを増やしたりして、さらにコントロールしようとするのです。ですから、恐れ、パワー、コントロールについて振り返り、違った考え方をしてみようと思います。

 

恐れ、パワー、コントロール

  • 恐れたり、居心地が悪くなると反応する。
  • 安全圏から外に連れ出される。
  • 物事を安全圏に引き戻そうとする。
  • 犠牲者の役に陥る。
  • 攻撃者の役に陥る。
  • つながりを切る、消え去る、周りに合わせる、うそをつく。
  • 使えるパワーは何でも使う。
  • 慣れ親しんだやり方に引き戻される。

 

居心地が悪くなるとパワーを使います。いろいろなふうな形でパワーが使われます。ここに挙げたのはどれもパワーを及ぼす、関わりの仕方です。そうすることでコントロールしようとします。プログラムをしていて、はじめは二つか三つルールがあっただけだったのに、ルールがどんどん増えていったという経験はありませんか?私たちのプログラムが始まったばかりのころ、ある日、あらゆるところに張り紙がされていたことがありました。手を洗いましょう、禁煙、後片付けをしましょう。それらの事柄について話し合うかわりにルールができていました。
もし時間が有り余っていたら、パワーを及ぼす、いろいろな関わりの仕方をすべてリストにしてみると面白いと思います。あなた方のプログラムで使われそうな、パワーの使い方の全てを挙げみてください。つながりを切る、姿を消すというのはとても強力なパワーを及ぼす関わりの仕方です。誰もあなたがどこにいるのかわからないからです。私たちはこういう話を十分にはしていません。

 

パワーを使いたくなる状況

  • パワーを持たない気がしたとき
  • 居心地の悪さを感じさせるような状況
  • 誰かが死ぬことを口にするとき

 

居心地が悪くなるとパワーを使います。例えば、パワーがないと感じるとき、自分が強く反応するボタンを押されたとき、だれかが自殺を口にするとき、などです。
今日の午後お話したいことは、このようなパワーを使いたくなるような事柄について、これまで話してきたような、意図的な、違ったふうな会話をすることについてです。誰かが死を口にしたとき、あなたのセンターではどんなことがおきますか?みんなが危険から逃れようとしますか?警察を呼びますか?ときどき、そうする?ケアマネジャーに連絡しますか?あなたがたはどうしますか?自殺に関する会話は、あなたのセンターではどのように扱われますか?

 

誰かがパワーを使ってコントロールしたくなるほど居心地悪くなるような、そうさせるような事柄には、他にどのようなことがありますか?どんな状況がありましたか?

 

<会場からの発言:自分を守りたくなる気がするとき。>
<会場からの発言:罵詈雑言を浴びせられるとき。>
<会場からの発言:相手の人がどうなるかが気にかかるとき。死ぬかどうかというような、大それたことではなくても。>